中東における混乱の原因とされるエルサレム問題。
この問題に対して多くのメディアは原因として、バルフォア宣言を原因と指摘しています。
しかし、バルフォア宣言のそもそもの原因はあまり知られていません。
そうなると本当にバルフォア宣言だけが原因なのかが疑わしくなります。
そこで、今回はエルサレム問題の根本的な原因を深堀していこうと思います。
目次
そもそもバルフォア宣言ってなんだっけ…?
さてエルサレム問題の原因としてバルフォア宣言がよく学校の授業やマスメディアに指摘されることは少なくありません。
ただバルフォア宣言っていちいち覚えている人なんて受験生か中東に興味を持っている人くらいしかいないと思います。
そこでまずは簡単にバルフォア宣言ってどんなものかを確認していこうと思いますよ〜。
バルフォア宣言の中身は…
さて肝心のバルフォア宣言の内容はというと、一言で言えば20世紀にイギリスがユダヤ人に今現在のイスラエルに当たる土地を与えるという約束です。
そして今回の主要なテーマであるエルサレムもイスラエルの範囲内にかぶさってくるのですね。
ただ当時エルサレムそしてイギリスがユダヤ人に与えると約束した土地は第一次世界大戦まではオスマン帝国が支配しいました。
しかしイギリスはオスマン帝国に関係なくユダヤ人に土地を与えると約束したのです!
よそ様の土地を勝手に与える約束をするイギリスがものすごく傍若無人に感じられますね…。(ただ帝国主義真っ只中の時代ですからイギリスにとっては当たり前のことだったのかもしれませんね)
さてパレスチナ、エルサレムはイスラム教を国教とするオスマン帝国が支配した土地ですから、当然その土地には数多くのイスラム教徒が住んでいました。
さてユダヤ人はバルフォア宣言という大義名分を得たことでパレスチナに大量の移民として向かうことになりました。
ただユダヤ人の人口が急に増えたことで、もともと住んでいた人(ムスリムなど)から反感を買うことになってしまったのです。
これが今のパレスチナ問題に続いていくのですね。
バルフォア宣言が行われた理由
さてバルフォア宣言の中身が実行されれば、その土地に混乱が生じることは簡単に予想することができますよね。
しかし、イギリスはそれを承知で実行しました。
それはなぜなのでしょうか?
それは①イギリスの第一次世界大戦の戦略とその後の政策にかなったものであったこと②ナショナリズムとユダヤ人の関係性が考えられます。(特に後者はパレスチナ問題、エルサレム問題の中でも無視できぬ原因だと思ったりしています!)
さて、ここからは以上の理由をもっと詳しく確認していこうと思います。
イギリスの国家戦略
当時のイギリスは第一次世界大戦中ということで戦争の真っただ中にありました。
ですのでイギリスは戦争により財政がガタガタになりやべー状況でした。
そのため豊富な財産を持つユダヤ人から資金援助を得るための見返りとして、パレスチナの地を与えると約束したのです。
また、現在イスラエルがある土地は地図などで確認してもらえばわかるようにスエズ運河のすぐ近くにあります。
当時のイギリスは植民地帝国でもあり、その財政はインドからの巨万の富に負うところが非常に大きなものでした。
なのでインドのの航路は非常に重要であり、その航路中でも大切だったなのがスエズ運河なのです。
そしてイギリスは航路の安全のみならず帝国の安全を確保するためにも、運河の近くに変な国やライバルのフランスに支配されることは非常に嫌うことになるのですね。
ですからイギリスは、まだ信用できるユダヤ人にイスラエルを与えて自国の安全を確立しようとしたのです。
こうしたイギリスの国家戦略があったからこそバルフォア宣言が出されたわけなのです。
根本的な原因はナショナリズムか?
第二の理由としてはナショナリズムを上げることができるでしょう。
当時はフランス革命以降の流れで国民国家体制が形作られ、完成している状態でした。
そのため多くの国(ほぼヨーロッパの国ですが…)は一つの民族は一つの国家を持つという意識がもたれるようになっていました。
例えば、フランスはフランス人のみが主権を持つとされ、イギリスはイギリス人のみが主権を持つというわけですね。
そういった状況になるとある問題が出てくるわけですね。
ユダヤ人とナショナリズム
その国の主権者はその国の国民とされたものだけとなると、そうでないものは自動的に主権から排除されることになります。
そしてユダヤ人は、排除される可能性が高かったのですね。
それによりユダヤ人もまた人権が保障されるようになります。ただし、フランスの支配圏のみですが…。その後1848年革命などの動きを受けてユダヤ人の解放はヨーロッパに広がっていきます。
そしてユダヤ人の中にはその国の国民として意識や国家への忠誠を誓う人も出現し、国民として統合されるものも出てくるのです。
しかし、各国の国民の中にはユダヤ人は同じ国民と認めることができない人もいました。
そのため反ユダヤ運動が起こったりしたのですね。そして、反ユダヤ運動として決定的となったのがロシアのポグロムやフランスのドレフュス事件でしょう。
こうした事件を受け最初は国民国家の一員となることが可能と考えていたユダヤ人も、そうした考えを捨てていくことになるのです。
そしてユダヤ人の中から自分たちの国を持つことを主張する運動が起こるのです。こうしたユダヤ人の自分たちの国を求める運動をシオニズムと言います。
こうして考えるとエルサレム問題は各国の国民になることを拒否されたユダヤ人が、自分たちの国を求めざるをえなくなったことが原因と言えるのではないでしょうか。
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