3分でわかる!?湾岸戦争

中東

あっけなく終わったように見える湾岸戦争。

そもそも、イラクはなぜに湾岸戦争を始めたのでしょうか?

そしてこの湾岸戦争、実は後のイラク戦争に大きく関係があるのですね。

つまりは湾岸戦争を理解できるとイラク戦争もけっこう分かる。言ってしまえば湾岸戦争は現代中東問題の根っこの一部なんですね~。

そこで、湾岸戦争の裏側とか(湾岸戦争の原因やそれが何を生み出したのかも)を覗いてみちゃおうかな~と。

湾岸戦争ってどんな戦争よ?

最初は軽~く湾岸戦争がどんな戦争だったのかを見ていこうかと。

この戦争は1990年にクウェートを占領、併合したイラクにぶち切れたアメリカを中心とした諸国連合とそのイラクの間で1991年に起きたものです。

結局この戦争でイラクは諸国連合に徹底的に叩き潰されてしまいクウェートから撤退せざるを得なくなったのですね。

しかも、クウェート侵攻に対してかけられた経済制裁も解除されないままでしたので戦後も国民は貧困にあえぎ続けることに…。

湾岸戦争はイラクにとって何も得るものがなく、逆にマイナスだったと言えちゃいますね。

クウェート占領の裏側

はてさてイラクはなぜにクウェートを占領することにしたのでしょうか?

その根本的な原因はイラン・イラク戦争でイラクの財政がかなーりマズい状況に追い込まれていたことが挙げられます。

イラン・イラク戦争後(1998年)のイラクではインフレや物資の不足が改善されず、さらに政府は帰還兵の再就職先をあっせんすることもほとんどできていない状態でした。

戦争が終われば経済も何もかもが良くなるだろうと考えていたイラク国民にとっては、それをできていない政府に不満をもつわけなんですね~。

このことに対してイラクのフセイン政権は手っ取り早く不満を抑えるために民主化を進展させるという手段を選んだのです!

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早速民主化の進展として情報公開をやってみたのですが、89年にルーマニアのチャウシェスク大統領が東欧革命のさなかに処刑されてしまいます!

チャウシェスクはフセインの親友的な存在であったため、自身も同じような運命をたどるのでは考え民主化の進展を止めるのでした。

ですが民主化を止めたとなると国民をなだめすかす手段としては、経済再建の道しかない!となるのです。

経済のための石油

さてイラクが経済を再建するのに目をつけたのが国内に眠る石油です!

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イラクは石油埋蔵量世界5位の国でありますので石油でも売って経済再建のための金を作ろうとなるのは当然といえば当然ですよね。

で、早速石油売ろうとなるのですが、やっぱり売るなら少しでも高値で売りたい。

そこでイラクは大産油国であるサウジアラビアだけでなく、OPECすらも巻き込むことで石油の生産量を減らし、それを高値で売ろうとしたのですね~。

中東でも有力国のサウジアラビアは、イラクのこの計画に乗ることにします。

その理由としてはイラクの経済状況が本当に危ないということを理解していました。

そして、何よりもイラン・イラク戦争でイラクがイランからの革命の輸出を防ぐ盾になったことを評価したからと言えるでしょうね。

サウジアラビアは賛成したのだが…

こうして、石油の生産量を減らし価格をつり上げる路線で進んでいたのですが、これに真っ向から対立するヤツがいたわけで…。

それが‘クウェート’だったのですね~。

もうイラクとしては、安値で石油を売りさばくことで値崩れを起こさせているクウェートふざけんじゃねーよと不満が出てくるわけですね。

クウェートがなぜに協調して石油価格を高騰させず、逆にこんな行動をとった理由については様々な説明がなされています。

クェートがこのような立場を選んだ理由

その中の1つを紹介すると、当時のクウェートではサウジアラビアからの追従的な立場から脱却しようとしていため、この協調にあえて反対の立場をとったという説明があります。

さてイラクはクウェートに対して価格破壊をやめろと再三いうのですが、言うことを聞かない。

とうとうイラクはクウェートがイラク側に埋まっている石油を盗掘していると糾弾するまでになってしまうのですね。

経済再建をするためにはクウェートが邪魔でしょうがないイラクはとうとうクウェートを占領し、経済問題をどうにかしようとしたのでした。

このときイラクは、イラン・イラク戦争に勝利したと考えていたため軍事力に自信を持っておりクウェートなんて簡単に占領できると考えていました。

さらにはクウェートに侵攻する前まではイラクはアメリカとの仲は良好でありました。

しかも侵攻の8日前に駐イラクアメリカ大使がそれを容認するような発言をしてしまったことで、イラクはクウェートの占領を決意したのでしょう。

湾岸戦争の帰結

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イラクはクウェートを占領してもアメリカは動かないと踏んでいたのですが、実際はそうではありませんでした。

こうしてイラクはクウェートの解放を求めるアメリカと戦争につまり湾岸戦争になったわけで…。

結果は最新鋭のアメリカ軍が圧勝し、イラクはクウェートから叩き出せれてしまうのですね。

で、この戦争で特筆すべきことが結構あるんですね~。

短いアメリカの国連協調主義

一つは冷戦終結後の始めての国際的な戦争ということで、アメリカは国連のメンツを立てながら行いました。

後のイラク戦争では国連を無視して、俺様ルールで戦争を行うのですが…。それとは大違いと言えますね〜。

フセインの英雄化

二つ目はイラクが湾岸戦争が始まる前にリンケージ論を唱えていたこと!

このリンケージ論とは何かといいますと。イスラエルがパレスチナの占領地から出ていけば、イラクもクウェートから出ていくというものなんですね~。

アメリカはイラクがクウェートを占領したことを非難する一方で、イスラエルがパレスチナを占領していることに対して何も言わない。

これはダブルスタンダードでおかしいことだと主張することで、クウェート占領を簡単に非難できないようにしたのですね。

結果アメリカはイラクを非難できるようにとパレスチナ問題解決のため急に動き出すのですね。

また、リンケージ論をイラクのフセインが唱えたことはアラブ社会にも影響を及ぼしました。

リンケージ論は本当にパレスチナが解放されるのではと希望を持つアラブ人が多かったのですね。(パレスチナ人はアラブ民族なので、アラブ諸国の市民にとってパレスチナ人がイスラエルで苦難に直面していることに同情する下地がありありでした)

そういうわけで、アラブ社会の一部にはフセインを英雄視する者も出てきたりしたのです。

これにはアメリカは相当危機感を抱いたかと、フセインを英雄視するアラブ人に中東の親米政権が万一倒されたりしたら石油利権が完全になくなる可能性があったからです。そうなればイラン革命の二の舞ですしね。

そんなわけでアメリカはパレスチナ問題を何が何でも改善させよと頑張っていくワケなんです。

アラブ社会の分裂

先ほどフセインの英雄化について触れましたが、この英雄化はアラブ社会に団結ではなく分裂を生み落とすことになってしまいました。

湾岸戦争以前ではアラブ各国は独立主権国家でしたが、民族や宗教そして言語が同じなのである程度は団結性がありました。

しかし湾岸戦争のフセインのリンケージ論でアラブ各国の政府は真っ二つ割れてしまいました。

サウジアラビアやエジプトはイラクのフセインがいくらアラブの大義であるパレスチナ問題を取り上げたとしても、それはクウェートの併合とは関係なく許されないことだとして対米協調主義を打ち出しました。

そしてこの対米協調主義によってサウジアラビアなど、それまで表立ってイスラエルを認めていなかった国が認めるようになっていったのですね。(ただ、エジプトは第三次中東戦争、そして第四次中東戦争の和平を通してそれ以前からイスラエルとの和平を進めていました。)

一方でサダム・フセインのアラブの大義を暗に認め、表立ってイラクのクウェート併合を非難しなかったヨルダンやイエメンといったアラブ国家は一時的ですが、国際社会から孤立する羽目になってしまったのですね。

こうしたイラクのクウェート併合への対応の分裂はそれまでアラブ社会にあった団結性を破壊するどころか、相互不信や疑念を植え付ける形になってしまったのです

経済制裁とイラク戦争への布石

三つ目は、イラクへの経済制裁が湾岸戦争後も続けられたことです。

この制裁はクウェート占領に対してかけられていたのですが、戦後も継続することになったのです。

この制裁は後のイラク戦争にも関係してくるわけで。そしてイラク戦争はISの台頭にも関連があるわけで…。

このようにイラクの経済問題から(イラン革命からとも言えますが)始まった湾岸戦争は、かな~り現代の中東問題とつながっているんですね!

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