イスラム国(IS)が勢力を拡大する原因となっただけでなく、現在のヨーロッパでの難民、移民政策に大きな影響を与えることになったシリア内戦。
そもそもシリア内戦はなぜ始まったのでしょうか?
そこで内戦の原因と、この内戦にロシア、そしてヨーロッパがどういった感じに関わっているのかを見ていこうかと思います。
目次
シリア内戦の始まりはチュニジアから起きた!?
そもそもシリア内戦が始まった直接の原因は何かと言いますと…。
ヨルダン国境近くの町で子供が政府批判の落書きをしたことを理由に警察が逮捕し、解放を求め家族が行政に対し抗議を行います。これによって反政府デモがシリア各地に吹き荒れることになりました。
こうした数ある国内のデモの一つに参加した少年が拷問の末に殺されたという報道がシリアでなされます。
これに民衆は激怒しより激しいデモと政府批判が行われ、とうとう内戦にまで行き着いてしまったのです。(ただ、この少年の死は拷問によるものではなかったと後に判明することになります)
ですが、シリアは内戦ましてやデモが起きるとはそれまで考えられていませんでした。
なぜかと言いますとシリアを支配するアサド政権は強権的な支配にうまく成功していたからです。
なので、子供が犠牲になる痛ましい事件までありましたが国民が大規模な反政府運動を、ましてや内戦まで行うとは全然考えられてもいませんでした。
しかし、現実には内戦にまで発展するデモが起きました。それはなぜでしょうか?
アラブの春から全ては始まった!
その背景にはチュニジアで起きたアラブの春が挙げられます。
アラブの春を簡単に説明しますと、長くベンアリー大統領による独裁政権が続いたチュニジアで一応ですが穏健な形で、独裁体制を崩壊させたことです。
このことはアラブの春またはジャスミン革命と呼ばれているのですね。
このジャスミン革命を受けて、権威主義的な支配が続くアラブ世界の国で民主化を求めるデモが行われるようになるのですね。
そしてエジプトやシリアでも民主化を求めて国民が動き出し、強権的な政府が倒されました。
そして、シリアでもこの動きが見られるようになります。
長年の独裁
シリアの現大統領バシャール・アサドは、父親であり前大統領であるハーフィズ・アサドからバアス党党首の座と大統領職を継承しました。
このことから分かるようにシリアはバアス党一党独裁による典型的な独裁国家だったのですね。
(バアス党はシリアにおける実質的唯一の政党です!)
親子二代で40年近くも政権を握れば政治の腐敗を避けることはできません…。
そのため国民の多くは政治に多少の不満を持つようになっても不思議ではありませんよね。
宗派の違い
また、アサド政権はシーア派の一つとされるアラウィー派で側近を固めています。
ただ国民の多くはスンニ派イスラーム教を信奉しています。
そうなりますと国民の多くは、スンニ派が政権の中枢に全くいない現政府は自分たちの意見を代表していないと不満を持っても不思議ではありませんね。
このように支配者と被支配者の信仰の違いも内戦への火種になったと言えるでしょう。
実際、シリア内戦はやがて宗派抗争の一面を見せるようになります。
ただし、こうした宗派の違いは内戦が始まった初期の頃はあまり問題と捉えられていませんでした。
しかしある組織が登場することによってこの内戦に宗教色も付与されていくことになります。
さて長年の独裁政治に不満を溜めに溜めていた国民が、ジャスミン革命を受け他国が民主化に成功したり独裁政権を倒したのを見て「次はうちだ!」となっても不思議ではありませんよね〜。
こうして血みどろのシリア内戦が始まるのでした。
つまりシリア内戦が勃発した理由は次の二点に集約できますね。
第一に長年の一党独裁、権力の世襲による権力の腐敗。
第二に支配者と被支配者の宗派の違い。
ISの胎盤、シリア内戦の泥沼化…
こうして内戦が始まったのですが、アサド政権は最初は反乱軍は所詮は国内のろくな軍事訓練を受けたこともないものがほとんどだと高をくくっていました。
ですが、国外から反政府勢力に武器の供給が行われていたこともあり内戦は長引くことになります。
ISの登場で内戦はより混乱へ
しかも厄介なことにIS(イスラム国)がシリアに潜り込んでくるので内戦はさらに混沌としたものになっていきます。
話は変わりますがISがなぜシリアに潜入し始めたのかと言いますと…。
2011年までのイラクは政府が国内の部族や宗派も関係なく一致団結し、かつアメリカと協力して過激派武装勢力を叩いていました。そのためISも壊滅寸前まで追い込まれていました。
ですが、2011年にアメリカ軍がイラクから撤退するとイラク政府はこれまで協力関係にあったスンニ派やフセイン政権時に高級将校だった軍人を切り捨て始めたのです。
このため、イラクは国内の団結が乱れ過激派組織の掃討も上手くいかなくなるのです。
こうしてISはイラク政府の失政により壊滅の憂き目から逃れることになります。
そんな中ISにとっては幸運なことに、(世界中の国にとっては不幸な結果になりますが)アラブの春によって、中東各国の支配力が弱体化します。
この隙をついてイラクで休眠状態にあったISは内戦中の隣国シリアに別働隊を作り、政府の支配が及ばなくなった地域を占領し力を蓄えていくのでした。
ISにはアラブの春が神の思し召しと感じられてもおかしくはないでしょうね。
こうしてシリアで勢力を回復したISはイラクに再び舞い戻り、イラク第二の都市モスルを占領しカリフ国家の成立を宣言したのでした。
ISはそれまでは基本的にシリア反政府軍の占領地域しか攻撃していませんでした。(そのためシリア政府軍からISは攻撃はされませんでした、反政府軍を攻撃してくれるISはシリア政府にとってわざわざ叩く必要はありませんしね。)
しかし建国宣言後にはシリアのアサド政権にも正面切って喧嘩をふっかけるようになります。
こうしてISが参戦してきたことで、シリア内戦はアサド政権と反政府勢力そしてISの三つ巴になっていくのです。
内戦の理由に宗教的な理由も追加される…
先ほども触れましたがここで厄介なことにISの参戦はシリア内戦に宗派抗争の色をつけることになります。
それまでのシリア内戦はアサド政権を倒せー、そうはさせないぞーという感じに基本的には世俗的で政治色が強いものでした。
ただ、スンニ派によるスンニ派だけのカリフ制国家を中東に樹立することを野望に掲げるISが殴り込んできたためシリア内戦は宗教色も出てくるのです。
アサド政権はシーア派に属するアラウィー派を信仰しています。
一方でISは先ほども述べたようにスンニ派を信仰しています。
ISはシーア派は滅ぶべきだと主張しており、実際に占領した地域のシーア派住民を無残な方法で処刑したことは有名ですよね。(高層ビルから突き落としたり首を切り落としたりなどなど)
さてアサド政権が信仰するアラウィー派ですが、実は輪廻転生や三位一体などイスラームの教えとは矛盾するような教義を持っており、これ本当にイスラーム教なのと疑問に思っちゃったりする人もいます。
なので、ただでさえ許せないシーア派の中でも異教徒と似通った教えを持つアラウィー派はISにとっては格別に憎むべき存在と認識していても不思議ではありません。
そうなるとISとしてはアサド政権は絶対に許せない存在になるので、徹底的に攻撃しますよね。
こんな感じにシリア内戦は宗教色も帯びて一層拡大していくのです。
ISの分裂
さてシリアに侵攻していたISですが、実はシリア出身の兵士ヌスラ戦線として独立しIS本体に反旗をひるがえすようになります。
しかもこのヌスラ戦線は自分たちはISとはもう関係ねーよということを示すためにアル・カイーダに忠誠を誓います。
つまりシリア内戦はアサド政権とその仲間たち(ロシアやシーア派の大国イランやヒズボラ)、いろんなグループが群雄割拠する反政府勢力、IS、ヌスラ戦線、その他弱小勢力が入り混じって戦う恐ろしいものになっているのです。
ヨーロッパが無視できなくなった内戦
以上のようにシリア内戦は泥沼化していくのでした。
しかし、この内戦は後に中東地域だけでなく、ヨーロッパ、ロシアそしてアメリカにも無視できない影響を与えていくことになります。
そこで、その理由を見ていこうと思います。
ヨーロッパだ、ヨーロッパの灯だ
シリア内戦をにつながっていく2011年に起きた、中東各国での反政府デモをアラブの春だ、民主化だと騒いでいたヨーロッパは後に大きな衝撃を受けることになります…。
それは難民問題です。この難民問題がイギリスのEU離脱や、ヨーロッパでの極右勢力躍進につながったという指摘があるほどヨーロッパに見過ごせないほどの軋轢を生むことになったのです。
そもそもヨーロッパはなぜ難民を積極的に受け入れ始めたのでしょうか。
その理由を整理していこうと思います。
きっかけは溺死したクルド人の少年の写真です。この少年は内戦の戦火から逃れるため地中海を渡ろうとしたのですが、失敗し溺死することになってしまいました。
幼い少年が亡くなってしまったという悲しい事実を受け、ヨーロッパ各国はISやシリア内戦のせいで生命の危機に直面している人を救おうという気高い理想を抱き、EUとりわけドイツが積極的に難民の受け入れを開始します。
最初の方は、ご存知の通り難民ウエルカムムードのヨーロッパでしたが次第に態度が変わってきます。
理由としては、短期間に予想以上の難民がやってきたためヨーロッパの市民の中にはある種の侵略ではないかと恐怖感を持った人の存在や、難民のふりをしてやってきたISの戦闘員がテロ活動を行ったことが挙げられるでしょう。
他にもドイツの例ですが、難民が犯罪を起こしてもその報道が規制されていたこともあり、受け入れに積極的な政府の政策に反感を抱くようになった人が出てきたからではないでしょうか。
(個人的な考えですがドイツ政府が報道の規制をかけたのは、おそらくですが国民が難民=犯罪者といった印象を抱くことを避けたかったのではないでしょうか。しかし、政府のこの行為が逆に難民=特権階級といった印象を一部の国民が感じてもしまうのは無理からぬところはあったんじゃないんですかねー)
こうした、危機感が不安がブレグジットやフランスの国民戦線やドイツのAfDの躍進に一役買ったのではないでしょうか。
リベラリズムの精神が排斥や国家の内向き志向につながったと思うとなんとも皮肉なものですねー。
ロシアとシリア、狐と狸の化かし合い
ロシアはシリアのアサド政権に対して軍事も含めて援助していると言われています。
しかし、それはどこまで本当なのでしょうか。
まず何故ロシアがアサド政権を支援するのかと言いますと、シリアがソ連時代からの友邦という事実が挙げられます。
第二次大戦以降は基本的には中東に影響力を最も持つ国はアメリカでしたで。(途中親米のパフレビィー朝がイラン革命によって反米の急先鋒を担うこともありましたが…。ともかくアメリカが中東で最も影響を握っていました。)
石油利権、西側諸国へ安定した石油供給のためアメリカは中東でのプレゼンスを低下させることを嫌っていました。ですので中東はほぼほぼアメリカの庭みたいなものでした。
そこで、面白くないのが当時のソ連です。
ただ都合の良いことにシリアは反イスラエルの立場を取っていたため、自動的にイスラエルの庇護者であるアメリカにも敵対的な立場を取っていました。
なのでシリアとソ連の両者は手を取るようになったのです。
こうしてソ連はシリア領内にソ連軍を配置できるようになったのです。これは現在まで続きロシア軍はシリア領内に軍事基地を維持しています。
ロシアは中東への足場となるてシリアを必要としているので友好関係を保ち続けようとしています。ですからロシアはアサド政権を支援しているのです。
ただ、注意しなくてはいけないのはロシアはアサド政権を絶対に必要なパートナーとは考えていないということです。
これはどういうことかというと、仮に親ロシアな姿勢を示し、かつシリア国内の統治能力がありそうだ認められる勢力があればそれに鞍替えしてもいいとロシア側は考えているためです。
事実アサド政権を見捨ててもいいかなという態度をたま〜に覗かせています。
例えばアサド政権は反政府武装組織を徹底的に潰そうと意気込んでいる時に、ロシアは自分たちの立場としてシリア内戦の継続はよろしくないとの声明を出したりしています。
このような形でロシアはアサドの手綱を握っているのです。
ただ、シリアのアサド政権も黙って利用されているわけではありません。
ソ連がまだまだ元気だった頃から、シリアは国内の反政府勢力やらイスラーム過激派の鎮圧のためだとか様々な理由をつけて、ソ連に最新の兵器や援助を要求していました。
しかも、もしそれをソ連が断ったらシリアとしてはアメリカになびいてもいいんだぜという空気を匂わせながら。そのためソ連としては出来るだけシリアの要求を飲んできたのです。
ロシアとしてはシリアが離れていってしまえば、ただでさえ低い中東でのプレゼンスがないのに等しことになってしまいます。
これをロシアは恐れているのですから、シリアのおねだりはなるべく叶えてあげてきたのです。
このシリア流のたかり方はソ連がロシアに衣替えしてもちゃっかりと続けられてきました。
古来よりシリア人は商売上手と知られていました。
シリアはその才覚を政治でも遺憾なく発揮したのかまんまと超大国であったソ連、そしてソ連の継承国であるロシアも手玉に取っているのですね。
以上のように良くも悪くもロシアとシリアのアサド政権は互いに利用し尽くそうという、何とも物騒な友好関係を築いているのですね〜。
シリア内戦の今後
おそらくですが、シリア内戦はロシア主導のもとアサド政権が維持される形で解決されるのではないでしょうか。
アメリカはオバマ政権を通してほとんど無視を決め込んできましたし、イスラエルが大好きな新しいトランプ政権はイスラエルの安全保障に影響が出ない限り無関心を決め込むでしょう。
こうしてアサド政権はロシアの協力のもとで内戦を終わらせるのではないでしょうか。
内戦終結後は、シリアは従来と同じようにイスラエルと口だけの喧嘩を楽しむのでしょう。
コメント