最近フランスでは、ブルキニの禁止の是非が問題となっているらしいです。
さてはて何故にこのような議論がフランスで起きているのでしょうか。そういうことで、この原因を探っていこうかと…。
ブルキニとライシテ
フランスでブルキニ禁止の是非をめぐって問題が起きていると言っても、そもそもブルキニって何よと疑問に感じる人もいるはず(?)自分は最初ブルキニって何じゃと思ったので…。
ブルキニとはムスリム(イスラーム教徒)女性用に作られた水着のことで、この名前はビキニとブルカを掛け合わせて作られたのですね〜。(一応ですが、ブルカとはムスリムの女性が肌をさらさないように作られた衣装のことです。)
さて、本題なのですがフランスでは一部の自治体がこのブルキニの禁止を定めたわけで…。なぜに世界で初めて人権宣言を出したフランスにおいてこんな、個人の自由を害する可能性を秘めた禁止案が採択されたのでしょか。
その理由としては、ライシテという強力な存在があげることができます。
このライシテは日本語にあえて翻訳するならば、世俗主義です!
このライシテは公共の場から宗教色がするものは基本的に排除すべしという性格を持っておりまして…。ですから、イスラームの戒律を守るためにチクられたブルキニは宗教色があるからけしからん!となり禁止する動きが出たのです。こうしてブルキニがフランスで議論を呼んでいるわけで。
不倶戴天の関係
こんなそんなでライシテがあるフランスでは、以上のように公共空間から宗教的なものを見ることは基本ありません。
このライシテが定められたのはかつてのフランスではキリスト教が政治に対して大きな影響力を持っておりまして…。(例えば、フランス王国の宰相として教会の高位聖職者が任命されていたことからよくわかりますね〜。)
宗教が政治に対して影響力を持つのはよろしくない!として公共空間から宗教を追放していくようになったのです。最終的には1905年に国家と教会の分離法によって、ライシテが公式なものになったのです。
さて、ライシテはもともとキリスト教の国政に対しての影響力を割くために作られたものであり、かつキリスト教は「カエサルの物はカエサルに、神のものは神に返しなさい」という言葉が示すように政教分離を認める土壌がありましたから、フランスでは問題なく世俗主義が機能してきました。
ですが、フランス共和国の基礎たるライシテと絶対に矛盾する存在が出てくるのです。
それが、今回も問題となっているムスリムの存在です。
フランスによる植民地支配や移民としてフランス本国に多数のムスリムがやってくることになったのですが…。ムスリムは世俗主義をそう簡単に受け入れることができなかったワケで。
なぜにムスリムが世俗主義を受け入れることができなかったかというと、キリスト教の信仰は心の中でするだけでも十分なのですが(これもフランスでもともと世俗主義が受け入れられた一因でしょうね〜)イスラームでは心の中の信仰だけでなく、それを実践することが求められているからです。なのでムスリムは神への信仰を表明するために宗教的行為を行うことを欲するのですね(例えば豚肉を食べないといった、イスラム法で禁止されていることを守ること)、一方でライシテを擁するフランス社会は、宗教性を隠さないムスリムに対して苛立ちを覚えることになっていくのですね。
ムスリムへの猜疑心と嫌悪
こうして、フランス社会はその基盤たるライシテを尊重しないムスリムに反感と嫌悪感を強めていく中で90年代にとうとう表面化するのでした。それがスカーフ問題とされるものです。この問題はムスリム女子学生が学校にスカーフをつけてくることは、これ見よがしに宗教行為を行っていることであるとし、公立学校でのスカーフ着用を禁止しようとしたことです。
フランス社会としてはライシテを守らせるために女子学生のスカーフ着用の禁止を主張し(その正当性を持たせるために、スカーフは女性の隷属性の証だからそれを禁止することはいいことだと主張するものがいたりしたんですね)一方ムスリムはスカーフの着用は神様が決めたことだから破るわけにはいかないと主張し、相当もめるのでした。
そんな中で9・11テロが起こりフランス社会ではスカーフ着用を踏み絵として利用していくことを思いついたのです。スカーフを脱いだムスリムは良いムスリム、そうでないものは悪であるとして識別を始めたのですね。
スカーフをつけているのは9・11を起こしたテロリストと同じような存在だと暗に匂わせながら。
そして、今回のブルキニ追放劇は、確かにライシテの存在なしには語り得ないだろう。だがそれ以上にISによる度重なるテロ攻撃によって傷つき、恐怖を抱いたフランス社会がムスリムに対しての猜疑心、嫌悪感を9・11直後と同じかそれ以上に爆発させてきているのではと感じられる出来事ではないのでしょうか。
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