気づいたら急に始まっていたように感じられる、イラン・イラク戦争。(もしかして自分だけですかね…)
日本人もこの戦争で人質になったりとか、後に起こる湾岸戦争、イラク戦争の発生要因を生み出したりなど、この戦争は現代の色んな問題にも以外と関係してたりするんですね。
そこで、今回はイラン・イラク戦争がなぜに起きて、これが何をもたらしたのかを探ってみたりしようかな~って思いますね~。
1979年の衝撃
8年間も行われたイラン・イラク戦争はイラクがイランに侵攻したことから始まったんですが、じゃあなぜにイラクはそんなことをしたのでしょうかねぇ?
イラクが攻撃を決断した原因は何か?
それは1979年に起きたイラン革命。
イラクがなぜにアメリカから援助を引き出すことができたのか?それを疑問に思っちゃったんで、これも調べてみたり。
その原因は二つ挙げられるんですね。
アメリカの石油利権
一つはアメリカが、石油利権を守ろうとしたからです。
そもそも、イランはアメリカの湾岸諸国での石油などの権益を守るため重要なパートナーでした。
しかし、イラン革命によって親米政権が倒されてしまい、逆に反米国家になってしまったのですね~。
そこでアメリカはイランの役目をイラクにさせようと考え、援助をするようになったのです。
湾岸諸国の政治的な理由
二つ目の理由としては、湾岸諸国が王政維持のためにイラクを利用しようと考えたからです。
湾岸諸国は今でも強力な王政を敷いているのですが(例えばサウジアラビアでは、閣僚ポストは王族が占めているんですね。)、その権威づけにイスラームを使っていました。
ですが、イランの親米シャー(王政)政権がイスラーム革命によって倒されてしまいました。
湾岸諸国は自分たちも同じように宗教右派によって倒されてしまうのではという危機感を抱いたのです。
実際、イランの革命政権は「革命の輸出」ということで、湾岸諸国もイランの王政と同じよう打倒されて宗教国家になるべきだと主張したのでした。
ですから湾岸諸国は自身の王政が倒されるのではと危機感を感じたのです!
こういったことで、湾岸諸国は革命の防波堤にイラクを利用しようと考えたのですね。
以上の理由で、イラクは湾岸の王政諸国から豊富な援助を受け取るようになったのです。
またイラクは最初はソ連と組んでいたのですが、1979年にソ連はアフガニスタンに侵攻しました。
こうした理由でイラクが豊富な援助を受けられるようになった一因なんですね~。
戦争の経過
イラクは湾岸諸国を「イスラーム革命の輸出」から防衛するという大義名分を得たことで、イランを攻撃し始めました。
また、イラクはイランの革命の輸出の防止だけでなく、イランとの係争地をこの機に有利な形で引き直そうと考えていから戦争を始めたわけなんですね。
これがイラン・イラク戦争の始まりとなったわけです!
戦争の初期はイラクがいけいけドンドンって感じに勝利を手にしていました。
イラクがこのように戦争を有利に進められたのはイランが開戦当初は革命が起きてから一年もたっておらず、軍隊は弱体化していたからです。
(イランの革命政権は王政時代の高級将校を軍隊に組み込むことを拒んでいたり、逆に将校の中には革命政権に協力を拒否する人もいたりしました。こうした理由で革命が終わって間もなくのイラン軍は弱体化していたのですね。)
また、イラクでは国民へ高級車や新築の住宅を与えることで戦争への協力を引き出すことが容易でした。
このようなイラク軍の高い士気は、戦争の初期におけるイラクの優位性を作り出したのです。
ですが、イランもそう簡単に負けませんでした。
対外的脅威にさらされたことでイランは一致団結することが可能になり、イラクに効果的に反撃していくようになります。
そしてイランは領土ないに侵攻していたイラク軍を追い出して、逆にイラク領に侵攻するほどになっていました。
しかし、イランもそのまま戦争に勝利することはなく戦局はこう着状態になったわけで。
さてさてイラク側は戦争初期はイランの混乱などで短期間で勝利が可能と見込んでいました。
ですが予想以上に戦争が長引きイラク国内の経済はガタガタになってしまいました。
イラクは当時多くの企業が国営であったのですが、それらを民営化することで政府が支出するお金を減らそうとするなど政府支出を減らそうと四苦八苦することになります。
こうしたことから、イラク政府の経済状況が厳しくなっていたことが分かりますね。
イラクのフセイン大統領はこのままじゃヤバいんじゃねと思い、戦争をさっさと終結させようと考えました…。
そこで終戦工作を始めるんですね~。
その終戦工作はペルシャ湾を航行するタンカー船を危機にさらすことで、石油の供給を守りたいアメリカにご登場を願うといったものでした。
この工作はうまくいきアメリカが(部分的ですが)介入するようになったのですね。
そのため石油利権を守りたいアメリカとイランからの脅威をイラクに対処させたい湾岸諸国は、イラクにより多くのの資金と兵器をつぎ込むことになったのです。
イラン・イラク戦争は最終的に、ペルシャ湾にいたアメリカの巡洋艦がイランのエアバスを撃墜したことで、アメリカのペルシャ湾での強力なプレゼンスをイランに叩き付けたことでイランは停戦を承諾したのでした。
戦争の帰結
何とかイラン・イラク戦争を手打ちにすることができたイラクは、今後は欧米と上手く付き合って戦争で疲弊した経済の再建を考えるようになりました。
ですが欧米は、この戦争で様々な支援を受けたことにより中東地域で軍事大国化したイラクを逆に警戒していました。
そのため、欧米と協調してイラクの経済再建を目指すプランは不可能になっていたのです。
さらに、経済が死にかけているイラクに追い打ちをかけるように湾岸諸国から戦争中に与えた資金を返還せよと求められるのですね。
イラクとしてはイランの脅威から守ってやっているのだから戦時中に湾岸諸国から与えられた資金援助は返還不要なものだと思っていました。
ですが、湾岸諸国はそうではなかったのですね!(湾岸諸国としては借款を行っているという認識でした)
イラクは返せと言われたから、しゃーねから返すかとなったのですが国内の経済はボロボロ。返済に四苦八苦します
こういった経済の不安定さがイラクを湾岸戦争に向かわせたのですね~。
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