ナチス政権下のドイツでユダヤ人がホロコーストの犠牲になったことは多くの人が知るところです。
しかし、そもそもなぜドイツでこうした悲惨な出来事が起こったのかを教科書などではあまり詳し扱っていません。
そこで今回は、ドイツでユダヤ人虐殺、ホロコーストが起きる土壌がいかに形成されていったのかを簡単に見ていこうかな〜と思います。
目次
ユダヤ人迫害の土壌
ナチス政権下のドイツでユダヤ人の虐殺が発生した答えを今すぐ知りたいという人もいるかもしれません。
そこで、ドイツでこのような悲劇が起きた理由としては以下の二点がとりわけて重要になってくるのではないかと考えられますね。
・長年ドイツが領邦国家であったこと
・第一次世界大戦後に起きたユダヤ人への反感
まず前者はドイツが1871年にドイツ帝国として統一されるまでは、300以上の領邦国家が分立している状態でした。
そうした状況下でユダヤ人の中でも才覚あふれる人物は、領邦君主の金庫番として取り立てられるようになるのですね。
こうした流れで次第にユダヤ人はドイツ各地で金融システムの中枢を担うようになるのです。
ただ、こうしたユダヤ人の成功が次第にドイツ人の嫉妬や不満につながっていくわけです。
後者は高校などの世界史の教科書でユダヤ人虐殺の理由としてあげられていますね。(例えば敗戦の原因として背後からの一突きといった言説が流れたり)
しかし表面的なことしか触れていないのでこのことも、もう少し深掘りしていこうかと思います。
領邦国家とユダヤ人
そもそも領邦国家がなぜユダヤ人迫害につながったと考えられるかについてもう少し詳しく説明していこうと思います。
先ほども述べたように領邦国家が乱立していたことで一部のユダヤ人のみですが、彼らに莫大な財を築くことを可能にしました。
なぜ領邦国家の乱立が一部とはいえユダヤ人の成功に資したのでしょうか?
ユダヤ人がドイツで経済的に成功した理由
その理由としては領邦君主たちは国や個人の資産運用を金融業を担っていたユダヤ人に任せるようになったことです。
ユダヤ人が金融業を担っていた理由としては1125年のラテラン公会議でユダヤ人はほとんどの職業から追放されることが決まりました。
当時は経済活動を行うにもギルドに参加する必要がありました。
しかし、公会議のユダヤ人追放の決定でユダヤ人は職業組合であるギルドからも追放されることになってしまいました。
そうなるとユダヤ人は職人や店舗を構えた商人になる道が絶えてしまったのです。
つまり、(普通の?)経済活動に参加できなくなってしまったのですね。
また、ユダヤ人は土地所有も制限されていたので農民になることもできませんでした。
そうなるとユダヤ人が生活の糧を得る方法としては金融業しか残っていなかったのですね。
クリスチャンは信仰上の理由で金貸を禁じらていました。しかしユダヤ人がクリスチャンにお金を貸すことは禁止されていませんでした。
ですからユダヤ人は唯一残された職業である金融業に従事していくことになるのです。
そしてこの選択はユダヤ人が進んでしたというのではなく、外部的要因によって仕方なく為されたと見ることができますね。
さて、こうして金融業に従事し始めたユダヤ人ですが次第に(数百年もかかりますが…)風向きが変わってきます。
それは大航海時代と共に絶対王政と重商主義が現れたことです。
絶対王政のもとでは国王権力を拡大と国力の増強は表裏一体でした。
そして国力増大の政策として重商主義が重んじられるようになります。
この重商主義を大雑把に説明しますと、金や銀そして貨幣の貯蓄によって国力は強化されるというものでした。
そして当時の重商主義の世界では今まで以上に国際貿易が活発になっていました。
そこでユダヤ人がとりわけドイツで陽の目を見るようになるのですね。
ドイツでは国土が小さければ、国民も少ない領邦国家が乱立していました。
そうした弱小領邦国家が独自に国際貿易を行うのは非常に難しいものがありました。
そこでドイツの領邦君主たちはユダヤ人を利用することを考えたのです。
ユダヤ人はヨーロッパ各地のみならず、中東やマグレブ地域に離散していました。
そのおかげか、ユダヤ人は非常にスムーズな形で国際貿易を行うことが可能になっていたのですね。
ですから領邦君主は国際取引網を持っていたユダヤ人を利用して、貿易を活性化しようとしたのです!
また、ドイツの領邦君主は国内の中央集権化に成功したフランスやオランダと比べて財政基盤は弱いものがありました。
そこで領邦君主はユダヤ人の活用を思いつくのです!
ユダヤ人は否応なしに数世紀にわたって金融業を行っていたのでそれなりに蓄えや資金運用のノウハウを持っていたからですね。
こうしてユダヤ人の中にはクリスチャンの市民や国民よりも領主から特権を与えられる者が現れるのです。
一般市民の反感
さて、こうして見てきたようにユダヤ人の中には領主によって一般市民よりも特権を与えられる者が出始めました。
こうしたことに反感もをつ一般市民が出てくるのです。
もともとユダヤ人は様々な理由で差別され、二級市民として扱われてきました。
二級市民として見下してきたユダヤ人が自分よりも偉くなったとなれば一般市民の中には反感を持つ者が出てきても当然といえるでしょう。
また、産業革命とドイツ統一を経るとユダヤ人はますますドイツ社会でその存在感を示していきます。
例えば、ドイツ国内を駆けめぐることとなる鉄道網はユダヤ人資金によって賄われました。
またドイツ統一の原因となった普仏戦争においても、その戦争の資金をユダヤ人なくしては用だてられませんでした。
ドイツ統一の立役者でもあるビスマルクも自身の資産をユダヤ人に管理させるほど、ユダヤ人はドイツの金融業界で実力をつけていたのです。
このようにユダヤ人がドイツ社会で存在感を増したのは、やはり金融業で生活してきたからなのですね。
金融業を行ってきたことでドイツに住んでいたユダヤ人は資産を蓄えることに成功しました。
そして、その資産がドイツのインフラ整備や戦争に投資されていったわけです。
こうなるとユダヤ人の影響力がある意味で目に見えてわかるようになりますよね。
クリスチャンのドイツ人の中には、こうしたユダヤ人の影響力、資金力に不安や恐れを持つ者が出てくるのですね〜。
そして、こうした不安などがつもりに積もって後の虐殺の一要因となったとも言えます。
第一次世界大戦の敗戦
さて、ユダヤ人に対してその不安や恐怖を内に秘めながらも統一されたドイツ帝国内では共存してきました。
しかし、不安定ながらも成功してきたユダヤ人とクリスチャンドイツ人の共存に取り返しのつかない事件が起こります。
それは、第一次世界大戦の敗北です。
第一次世界大戦の敗北によってドイツは莫大な賠償を課されることになったのは多くの人が知るところです。
そして、この巨大な賠償はドイツ国民にとっては非常に耐えがたいものでした。
実際、金銭のみならず船や家畜といった実物も賠償として課されるだけでなく、領土の16%も失うことになったのですね。
それ以外にも色々とありますが多すぎるので省きますね。
こうした厳しすぎる賠償によってドイツ人は自分たちはまだ戦えた、ドイツの敗戦は陰謀によってなされたという考えが広まっていきます。
そうした中で、ドイツ国内の右派は敗戦の原因はユダヤ人によるものだと主張するものが出てくるのです。
ユダヤの陰謀が広まった理由
右派によるユダヤの陰謀説は確実にドイツ国内に一部とはいえ広まっていきました。
こうした陰謀説が拡散していった理由としては次のことが要因として挙げられるでしょう。
まず、第一に帝国の統一で覆いかぶされていた伝統的なユダヤ人への恐怖感や反感といった感情に陰謀説がうまくつけ込めたこと。
敗戦の原因をアウトサイダーでしかも、ドイツ社会に無視できぬ影響力を持っていたユダヤ人に帰すことは大衆にとっては容易で分かりやすかったので受け入れやすいものでした。
第二に降伏後に成立したワイマール共和政府にユダヤ人が指導的立場に立ったことも挙げられるでしょう。
例えばワイマール憲法の制定にプロイスという法学者が携わったのですが、彼はユダヤ人でした。
ですから右派にとってはワイマール憲法はユダヤ人が作った憎むべきものとしてうつり、またその憲法をいただいているワイマール共和政府もユダヤ人の傀儡にしか見えなかったのですね。
また大実業家のラーテナウというユダヤ人が復興大臣、外務大臣に就任します。
この任命は彼の博識さと、ヨーロッパ全土でも有数な実業家であること、そして何よりも彼の愛国心を買われたものでした。
彼はもともと戦時中まさに愛国者と言っても差し支えのない人物でした。
戦時中は戦時資材、原材料調達といった非常に面倒で繊細な仕事を軍から与えられ、そしてこれを敗戦まで成し遂げていたのですから。
しかし、右派はこのラーテナウの就任をユダヤ人がドイツ国内の経済を支配していることの証明だと強く宣伝する格好の材料とするのです。
このように降伏後のワイマール共和政府においてユダヤ人が多少なりとも影響力を発揮したことが、ドイツの大衆が培ってきたユダヤ人への恐怖感を刺激するのは十分なものでした。
こうしてナチス政権下での虐殺への土壌がまた出来上がったというわけですね。
さてこのラーテナウですが、最終的に彼は右派のテロの凶弾に倒れることになるのでした。
そして、東方ユダヤ人の流入もドイツ国内での反ユダヤ感情を高めていったと考えられます。
以前からいたユダヤ人はドイツ化しており一見してユダヤ人とは分かりませんでした。
しかし、戦争の影響で難民としてやってきた東方ユダヤ人は身なりや使っている言語からしてすぐさまユダヤ人と理解できるものでした。
しかも、その身なりはひどいものだったので大衆にとってはわけのわからない輩が大挙してやってきたと恐怖を煽るのに十分でした。
このように第一次世界大戦での敗北とその混乱が、後の悲劇への燃料となったと言えそうですね。
まとめ
以上のことからドイツでホロコーストが起きた土壌がつまり今回紹介してきた
・弱小領邦君主国が乱立していたこと
・第一次世界大戦敗北に対してのいわれのない冤罪
といったことが、積み重なってきたことが原因と言えるのではないでしょうか。
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