イスラム国やアルカイダといったテロ組織はよくマスコミ等にイスラーム原理主義と呼ばれます。
ただ一方で「イスラーム原理主義」とは何かを詳しく説明されていません。
そこで今回はイスラーム原理主義がなぜ生まれ、そしてここまで影響力を持つようになったのかを深堀していこうと思います。
目次
原理主義とは何か?
そもそも原理主義とはどう言ったものなのでしょうか?
原理主義とういう言葉からすれば、何だか基本的なルールを守らせることを強制させるような響きがありますよね。
さて、この「原理主義」という言葉はもともとアメリカで生まれた言葉です。
この言葉は「聖書」に書いてある言葉は神のものであり、間違いあるわけがないというものを指しています。
フランス革命、産業革命を経て欧米世界では世俗に対してキリスト教の影響力は格段に弱まっていました。
そうした中で「聖書」も神学的なものではなく、歴史的な書物として研究しようとする研究者が現れてきました。
そして研究者により聖書に収められている聖典の中には、科学的立場から否定されるもものが出てきたのです。
一方で、こうした聖書を科学的な研究対象とすることへ反対する立場の聖職者が当然のように現れます。
そうした聖職者の中から後に「fundamentalism」、つまり原理主義と呼ばれる聖書の中身は神のことばであり絶対に正しい、無謬性を解くグループが現れたのです。
こうした原理主義者は聖書が説くように同性婚の反対や、進化説の否定といった立場をとるようになるのです。
そして原理主義者は時には裁判や政治的行動を起こして、アメリカ政治に自分たちが望むような宗教的影響を与えようとしてきたのです。
つまり原理主義はもともとはキリスト教における用語の一つだったのですね。
イスラーム原理主義とは何か?
ここまで見てきたように、原理主義はアメリカにおけるキリスト教の聖書解釈から生まれた言葉ということが分かりました。
こうしたキリスト教の言葉がなぜ、イスラームと結びついていったのでしょうか。
さてアメリカで生まれた「原理主義」という言葉は、聖書は絶対に正しいと信じる熱心なクリスチャンを指すものでした。
ただ原理主義という言葉に対して、悪く言えば狂信者とか融通の利かない宗教バカと言ったニュアンスがありました。
そうした中で、第二次世界大戦後の資本主義世界の親玉になったアメリカは否が応でも国際政治の舞台で重要な役割を背負うことなりました。
そして、当然ですが中東においてもアメリカは影響力を行使していました。
そんな中で1979年のイラン革命、アフガニスタンのタリバーン、パレスチナのファタハ、そして9.11テロの実行組織であるアルカイダ、イスラム国と言ったイスラームの教え、コーランを絶対視しこれを政治に反映させようとする組織が生まれてきます。
これがイスラーム原理主義という言葉が生まれた経緯です。
イスラーム原理主義はコレだ!
さて、肝心のイスラーム原理主義とはなんなのでしょうか?
はっきりと言ってしまえば、先ほども説明したように
コーランの教え通りに政治運営をしようとする主義主張
ですね。
そして後にイスラーム原理主義はコーランによる統治を実現するために、多くの人が知るように様々なテロ行為を活発に仕掛けていきます。
イスラーム原理主義が生まれた理由
さて、ここまではイスラーム原理主義とは何かを簡単に見てきました。
ただその残虐性と一時とはいえ既存の国家体制を破壊し新しい秩序を生み出したことで名を挙げたイスラーム国のようなグループの中枢的な思想となる、このイスラーム原理主義はなぜ生まれたのでしょうか。
異教徒とはいえ人を嬉々として殺したり、自爆テロなんでもござれ一目見てもヤベー思想を受け入れるなんて難しい、無理と考える人が多いと思いまし。
しかし、そうした思想を簡単に受け入れる人もいたりします。
そこで、ここからはなぜイスラーム原理主義が生まれ、それが受け入れられたのかを簡単に確認していこうと思います。
イスラーム原理主義の芽生え
イスラーム原理主義が生まれたそもそもの理由としては19世紀におけるオスマン帝国、アラブ社会の西洋への植民地化が大元と言えるでしょう。
イスラーム社会において自分たちが西洋の隷属状態に置かれた理由は何かと考えるようになりました。
そうした中で有力な原因とされたのがムスリムの信仰が弱くなったからだというものです。
西洋の隷属状態から抜け出すには信仰を再度取り戻す必要があると説かれたわけですね。
さてそうした中で第二次世界大戦後アラブ世界では、欧米社会と異なる政治体制が求められるようになっていました。
そこで有力だったのがアラブ主義と、今回のテーマたるイスラーム原理主義なのです。
アラブ主義の没落
この二つの新しい思想においては当初はエジプト大統領であるナセルが主導するアラブ主義が有力でした。
しかしアラブ主義は次第にその魅力を失っていきます。
第一にアラブ主義に旗手であったナセルの権威が失われていったことです。
エジプトは数度にわたるイスラエルとの中東戦争での敗北していました。
そうした中でナセルがエイジプと大統領として指導した第三次中東戦争において、エジプトはシナイ半島をイスラエルに占領される形で終結した。
これによってアラブ主義の正当性は大きく傷ついたのです。
第二にアラブ主義を唱える国家内での格差と腐敗です。
さてアラブ主義を採用していたエジプトでは、特にアラブ社会主義ということで国家が大きな権力を握っていました。
そのため大規模な農地改革や大規模な国営工場と大規模な軍隊が存在しており、当然のように多量の富が国家や軍に流れ込んでいたのです。
ただこうした富と権力の集中は次第に軍、政治、官僚、富裕層が結びつかせ、政治を腐敗させ国家の富の再配分機能が麻痺するようになったのです。
こうして国家のエリートはエリートのままであり一層の豊かさを得る一方で、貧困層はそのまま貧困層に縛り付けられ貧しいままでした。
こうした社会に貧困層は今の政治、経済状況を提供するアラブ主義に次第に幻滅していくことになるのです。
イスラーム原理主義の台頭
そんな中で輝きを増していったのが後にイスラーム原理主義と呼ばれる、もう一つのコーランを統治の中心に据えるという考えです。
このコーランを統治の中心に据える、つまりイスラームの教えに回帰するという考えが支持されるようになったのは二つあります。
一つは先ほども説明したようにアラブ主義の魅力が失われたこと。
第二にイスラーム原理主義は行動を実際に起こしたことです。
エジプトではイスラームの教えに基づいて活動を行うムスリム同胞団が1920年に生まれ、貧困層に対して教育、医療の提供などをコーランの教えに基づいて行っていました。
なので、病気になってもお金がなくて病院に行けないようなエジプトの貧困層は彼らを強く支持するのは当然ですよね。
そうした中でアラブ主義が没落して行ったので、対照的にイスラーム原理主義の社会を変えるかもしれないという魅力は大きくなっていったのです。
こうして原理主義は暴力性を獲得した…
このようにイスラーム原理主義の一部を見ると貧困層に施しをしていて良い人たちに思えますよね。
ただ一方でテロを行うなど非常に暴力的で危険な側面を有しています。
なぜ彼らがそのような暴力性を身につけて行ったのでしょうか?
その理由としては彼らの思想と政府の弾圧があげることができるでしょう。
イスラームは政府にとって都合が悪い
そもそもイスラーム原理主義はコーランが絶対であり、つまるところ主権者は神であり決して政府や国民ではありませんでした。
そのため政府としては、自分たちの主権を致命的に脅かすイスラーム原理主義者は是が非でも潰したい存在と言えます。
結果、エイジプとのムスリム同胞団は政府に対して弾圧されるようになったのです。
そうした中で、原理主義者の中から弾圧の報復と自衛のために政府をぶっ潰せという主張が出てくるわけです。
そして、コーランは神を主権者としているので原理主義者は政府への暴力行為を簡単に正当化することができました。
政府はイスラームに反しているということでジハードの対象であり、政府を潰すための攻撃は正しいということですね。
実際、9.11テロを起こしたビンラーディンは祖国サウジアラビアはアメリカの従属しておりイスラーム的に正しくないと批判していたところ、国外追放されました。
しかも政府への攻撃、テロ活動は神の道に沿っているジハードなのだから報酬として死後の楽園が約束されれているということで、熱心な原理主義者がテロ活動に従事しても不思議とは言えないでしょう
これが原理主義者が政府、つまり既存の地上の権力者に対しての暴力性を獲得した理由と言え、政府が何が何でもイスラーム原理主義を潰したい理由と言えるでしょう。
無論、政府が弾圧に力を入れれば入れるほど原理主義者も過激になるというなんとも嫌な袋小路に陥っているとも言えますが…。
グローバルジハード論への深化
そしてこの自国の不信心な政府に対してのジハードが正当化された理論が、次第に自分たちの信仰の邪魔になる外国政府を攻撃しても良いという理論いわゆるグローバルジハード論を生み出していくのです。
このグローバルジハード論の実践者がアルカイーダの指導者であるビンラーディンであり、実際に既存の国家体制を破壊しカリフ制の再興を唱ったイスラム国であると言えるでしょう。
イスラーム原理主義が力を得た理由
さてつまるところイスラーム原理主義が力を得た理由としては、第一に既存の体制に幻滅していた人間をうまく掬い上げることができたこと。
第二にそうした人たちに自分たちの行動を正当化できる大義名分と、死後といえども魅力的な報酬を提示できた点にあると言えるでしょう。
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