2001年の9.11テロが起きた後にアル・カイーダをかくまっているとしてアメリカから攻撃を受けたタリバーン。
タリバーン政権と聞くと抑圧的なイメージを想起しますが、抑圧的な政策を実行する彼らが何故にアフガニスタンの90%近くを支配地域に収め、アル・カイーダをかくまうまでに成長することができたのでしょうか?
そのことがきになったので、調べたことをまとめてみました!
そもそもタリバーンってなんじゃ?
アフガニスタンの9割近く支配し、9.11を起こした直後のアル・カイーダをかくまうなどの行動をとったタリバーン。そんな組織ならかなり昔からあったんじゃないかと思うかもしれませんが実はそうじゃないんですね~。できたのは
このタリバーンの発端は何かというと、世直し運動。
当時のアフガニスタンはソ連の侵攻とその後のムジャーヒディーン同士の内部抗争によって秩序もくそもない状況にありました。そんな中タリバーンは交通の自由化を確保したり、イスラーム法を適用することで失われた秩序を回復したこともあり住民からのうけは、最初は良かったのですが…。
イスラーム法を厳格に適用したことで、非常に抑圧的な社会になってしまったのですね。例えば極端な女性差別があったり、音楽が禁止されたりとかすげーめちゃくちゃな政策が実施されていたのですね。(う~ん、ディストピアって感じ、もしかしたらそれ以上にヤバイ感じですよね)
権力の座に…
タリバーンがどんな組織か大体は分かった。けれど、最初は世直し運動をしていた集団がどーして権力の座にたどりつくことができたのでしょうか?そこで彼らが権力の椅子を獲得した原因を考えようかと。
彼らがアアフガニスタンで権力を握れたのは二つの要因があるかと。
一つ目は先にも述べたように国内での一応の秩序を回復させたこと。
地元の人間からすれば戦争と内戦によって安全が保障されていなかった地元にそれをもたらしたとなれば大喜びですよね。秩序をもたらしたことでタリバーンは住人たちからの支持を受けることになりました。またタリバーンの幹部はアフガニスタンで有力な民族集団を出自にもっていたことも住人たちが受け入れる下地を作っていたのでしょう。(やっぱり、人って自分と関連性があれば好意を抱く傾向がタリバーンに有利にはたらいたのかな~って思うんですよね。)
もう一つはアフガニスタン国外からの影響。
アフガニスタンの隣国パキスタンがタリバーンを支援していました。
パキスタンがなんでわざわざ無名なタリバーンを支援したかというと…。カシミール問題があったからですね。
パキスタンはインドとの間にカシミール地方の帰属を巡って争っており、パキスタンは「戦略的奥行」つまりアフガニスタンに後ろからブスリされないようにタリバーンを支援したのです。(タリバーンが政権をとれば親パキスタンの国ができるのではさみうちにあう可能性がへりますもんね~)またアフガニスタンが安定すれば、パキスタンは中央アジア諸国と貿易が安心してできるといったこともあり支援がなされたのです。
つまりパキスタンがタリバーンを支援したのは、政治・経済にわたって利益があると考えられたからですね。
こういう2つワケで無名の組織だったタリバーンは実力をつけ、1994年11月にアフガニスタン第二の都市ガンダハールを占領し歴史の表舞台に現れたのでした。(日本でいえば謎の武装組織が大阪を占領したようなもの、話題どころか歴史的ニュースになりますね~)
1996年にタリバーンは首都カブールに入城し、権力を握るのでした。
権力の座からの追放
カブールに入城したタリバーンは他の地域と同様に秩序の回復を成し遂げ住民から歓迎されるのですが…。
カブールは最も開放的で、各民族(アフガニスタンは多民族国家)が入り交じった都市で厳格なイスラーム法を課したため反発も大きいものでした…。
首都カブールを手に納めたタリバーンは残りの主要都市マザーリシャリーフの占領を目指し、1997年5月に攻撃を仕掛けるのですが失敗。このときタリバーンの兵士が虐殺されてしまい、翌年タリバーンがマザーリシャリーフに侵攻した際に復讐として数千人を虐殺し、イランの外交官を殺害してしまったこともありタリバーンの孤立が一層進んでしまうのでした。(女性に対して抑圧的な政策をとっていたこともありタリバーンは欧米から非難されていたんですね)
そんなこんなもありタリバーンは国際的には孤立していくのでした。国際的孤立と国内での反発で政権維持に苦労するようになりました。
タリバーンは政権を崩壊させてしまうが悪手を打ってしまう。それはアル・カイーダの指導者ビンラディンをかくまったこと。ビンラディンはアメリカに対して様々なテロを実行していたのですが、9・11テロでついにアメリカはぶちぎれてビンラディンの排除を決定。アメリカはビンラディンをかくまっているとされるタリバーンに引き渡しを求めたのですが拒否され、タリバーンを攻撃するのでした。アメリカの攻撃によってタリバーン政権は崩壊してしまうのでした。
タリバーンもビンラディンの引き渡しを拒めば攻撃されるのを理解していたはずなのにどうして拒否したのでしょうか?その理由にパシュトゥーンワーリがあげられています。このパシュトゥーンワーリというのはパシュトゥーン人の掟であり、その中に「敵に追われている者を助けよ」というニュアンスのものがあったためビンラディンを保護したのです。(さらにビンラディンはソ連のアフガニスタン侵攻の際に、ソ連と戦ったから余計にタリバーンは彼を見捨てることができなかったのでしょうね)
結局タリバーン政権が崩壊したのは国際的によろしくない存在とみなされてしまったことに尽きると思います。
まとめ
タリバーンが政権をとれたのは国内の混乱と外国勢力の助けによるところが大きいといえますね。またその崩壊も外国勢力によるとは皮肉な感じですね。
また、ISもシリア内戦で秩序が崩壊した中で台頭してきました。既存の体制の弱体化は過激派組織にとっては素晴らしいものと映るでしょう。
アフガニスタンの秩序が崩れることになったソ連のアフガニスタン侵攻についての記事です。この記事と関連あるものなのでよければ読んでみてください。
⇓
コメント