今すぐ分かる!?パレスチナ問題の始まり

      2016/08/23

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ニュースや学校の授業などで、たまに耳にする事がある❝パレスチナ問題❞という言葉。パレスチナ問題の理由として宗教が違うためだからとか民族が違うからだと簡単に説明されがちですが、実際にはそれだけではないのです!

この記事を最後まで読めばきっとパレスチナ問題の根本が分かるはず!

まず、パレスチナってどこだ?

パレスチナ問題を語るにも、まず場所を分かっていなければ。パレスチナの位置を確認!

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パレスチナはだいたい、イスラエルやシリアらへんを指します。でパレスチナには現在イスラエルという国があります。もう少し詳しい地図を見ると

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では、なぜユダヤ人はパレスチナに自分たちの国を造ったのでしょうか?

熱狂のシオニズム

時をさかのぼること19世紀後半。当時のヨーロッパではアンチ・セミティズムと呼ばれる思想に基づいて、激しいユダヤ人差別がありました。ユダヤ人は各々が住んでいる国の国民として受け入れられていると信じていたので、この差別は「自分たちが安全に暮らせる国は存在しないのでは?」と大いに疑念と不安を掻き立てるものでした。この不安を極大化させたのは1894年にフランスで起きたドレフュス事件(えん罪でユダヤ人の士官ドレフュスが捕まったこと)だったのです。

 

こうした中でハンガリー生まれのあるユダヤ人が登場します。その男の名はテオドール・ヘルツル。

テオドール・ヘルツル

テオドール・ヘルツル

 

ヘルツルは「ユダヤ人が“安全に暮らせる国”」を造ろうと主張しました。ヘルツルの主張は政治的シオニズムと呼ばれています。

(シオニズムは他にも文化的、実践的などありますが全て紹介していると、パレスチナ問題の説明から脱線してしまうのでカットさせてもらいます。ゴメンなさい…別の記事で詳しく紹介しますね!3分でわかる?シオニズム)

政治的シオニズムは身の安全を求めていたヨーロッパで生活していたユダヤ人の心をガッチリと掴んだのです。だから自分たちの国を求めたのです。またユダヤ人の中には自分たちの国を、かつてソロモン王の栄華があったパレスチナの地に求める者も現れ始めました。その理由としてはユダヤ人は世界各地に散っていたので、ユダヤ人といっても使用する言語や身につけた文化が異なるということは普通だったんですね。ユだからこそダヤ人国家を造るといっても文化や言語が違うためなかなか結束ができない…。そこで、どのユダヤ人にも受け継がれた記憶である旧約聖書に記述があるパレスチナにユダヤ人国家を建国することで(人工的に)結束を生み出そうとしたからです!

 

老獪な紳士との約束

ユダヤ人がシオニズムの思想に熱狂している一方で世界はどんどこ動いていく!

世界史的にも非常に重要な出来事がとうとうヨーロッパで発生し、このことが“ユダヤ人の国”を建国する考えを現実のものへと一気に加速させたのだ!

 その非常に重要な出来事とは…

そう第一次世界大戦!

この戦争でユダヤ人は当時のイギリスの外相アサー・バルフォアから、パレスチナの地に「ナショナル・ホーム(民族的郷土)」の建設に賛成する声明(バルフォア宣言)を引き出しましたのです!

しかし、イギリスはのちに三枚舌外交と呼ばれるようにアラブ人にはパレスチナも含む中東一体にアラブ王国の建設を、フランスとは東アラブを分割する約束をしたりしていました…

(なぜイギリスがこの様な矛盾する約束をした理由は別の記事で詳しく紹介します。)

シオニズムについてはコチラ → 3分でわかる!?三枚舌外交

結局は第一次大戦後、東アラブはイギリスとフランスによって分割されることに。

イスラエルの建国

さてパレスチナの地はオスマン帝国からイギリスに移り、ヨーロッパのユダヤ人はパレスチナの土地を購入や移住を進めていきます。もともとはアラブ人が多く住んでいたので(少数だがシオニズムが始まる前からアラブ系ユダヤ人も住んでいた)両者の間に対立が目立ち始めました。

なのでバルフォア宣言があったとはいえ、この事態を重く見たイギリスはユダヤ人の新規移住を制限するようになります。第二次世界大戦が終わるまでこの制限は続きました。

しかし、第二次世界大戦後ナチスによるホロコーストもありパレスチナにやって来るユダヤ人は増加。とうとうイギリスは対応できないと、この問題をできたての国連に投げてしまうのでした!

国連はユダヤ人とアラブ人の国家を、共に建設することを提案しましたが、アラブ人は拒絶しました。(やっぱり先祖伝来の土地を明け渡せとは、けしからん!となるのが人情ですよね~)

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こうした中で1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されたのです。ユダヤ人がユダ王国以来の自分たちの国を持ったのでした。

 パレスチナ問題へ

こうしてイスラエルは建国されたのですが、元からいたアラブ人から土地を奪うような形で建国されたのでした。そのため元々住んでいた人達(以後パレスチナ人と呼びます)は難民として生活せざるを得なくなったのです。パレスチナ人は、最初はイスラエルという国の存在はとんでもないと考えていました。しかし度重なる中東戦争などを通じて共存することを望むようになりました。

 

一方イスラエル側は、パレスチナは自分たちに必ず攻撃を加えてくると信じていました。身の安全を守るためパレスチナ人が住んでいる地区を囲うフェンスを建設することでの隔離、時には軍事的な手段をとることもありました。

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イスラエルの上記のような態度は、一度は和平を求めたパレスチナ人を失望させるのには十分すぎるものでした。そして、隔離された地区での生活に悲観しきった人の中から自爆テロなど過激な行動をとるようになりました。

イスラエルはパレスチナ人のこの様な態度から、攻撃を一層強めたのです。

以上より、パレスチナ問題の根っこは(宗教や民族の対立も含みますが)相互不信と報復の連鎖にあるといえます。

 

 - パレスチナ問題, 中東