イラク戦争の結果を知りたい?誰も教えてくれない末路…

IS

アメリカの圧倒的な勝利で終わったイラク戦争。

当初はその勝利はイラクに民主主義と平和をもたらすと信じられていました。

しかし全くそうとは信じられない現状が広がっていますよね。

そこで今回はイラク戦争の結末と、それが何をもたらしたかを深掘りしていこうと思います。

イラク戦争の結末は…


さて、そもそもイラク戦争は9.11テロ後のアメリカによるテロとの戦いの一環として行われたものでした。

このイラク戦争は2月もかからずに終戦し、アメリカの責任のもとでイラクはそのまま自由と平和を享受しながら復興するかと思われました。

しかし実際はそうではありませんでした。

戦後イラクでは国立博物館が火事場泥棒の被害にあったり、土地の所有問題が発生してもそれを解決する裁判所、法律が機能しない現実があったのですね。

またこうした経済的な問題だけでなく、国連の事務所に爆破テロが起こるなど生命の危機に関わる数々の事件を阻止することができませんでした。

このようにイラクは戦争が終わった後、社会秩序という点では戦前よりも酷いと言える状況になったと思えます。

ではなぜイラクは戦後このような無秩序、混沌とした状況になってしまったのでしょうか。

その理由としては次の点が挙げることができると思います。

・アメリカがイラク復興の具体的な計画を持っていなかったこと
・軍と公務員の公職追放
・イラク国民の新しい支配者への不信感

アメリカのお粗末な復興計画

さて戦後イラクが大きく混乱した理由は様々あります。

どうやって統治する!?


ただ根本的な理由としては戦後イラクを統治する主体となったアメリカが、そのイラク再建にあたっての具体的な計画を練り上げることができなかったことでしょう。

アメリカとしては戦後イラクの統治にあたっては、フセイン政権下で亡命した知的エリートのイラク人に政治を任せる案の他にもイラク軍人によるクーデター政権を考えるなど様々なものがありました。

そして、こうした戦後イラクを統治するにあたってどの案を採用するかは残念なことに戦争が終わるまでに決着がつきませんでした。

そのためアメリカは戦後イラクをどのように統治していくかという青写真を持たないまま復興を主導していくことになるのですね。

このような状況では当然イラクの復興政策は一貫性がなくなりますよね。

統治者がいない…!?


またこのようにアメリカによって集められた在外イラク人の間にも様々なグループ、例えばクルド人、王制派、共産党と多種多様なものが存在しました。

そのため在外イラク人の間でも戦後のイラク統治に関する決定的な合意ができるような状態ではありませんでした。

以上のように戦後統治の主体たるアメリカにも在外イラク人にも確かな戦後の復興計画を持ち合わせていませんでした。

こうした無計画性がイラクの国家再建を大きく遅れさせることになったのですね。

イラク人としては戦争が終わったのだから早期に国家が再建されると思っていたら、全然再建が進まないとなりフラストレーションが大きくためアメリカに失望することになるのですね。

こうした失望や怒りはアメリカの戦後統治に悪影響を与えていくのは不可避なことでした。

軍と公務員の公職追放

さてイラクの混乱の第二の理由としては公務員と軍人、警察の公職追放でしょう。

公務員追放の結果…


イラクに民主主義を植え付けることが重要な目的の一つでした。

そのためイラク戦争前から公職にいた人間(特に与党バアス党の党員)は、独裁政権の協力者として職から追放されることになるのですね。

無論こうした公務員の追放はフセインのバアス党一頭支配からの脱却には必要だったのでしょうが、この追放は今まで行政に関わっていた人間が省庁からいなくなること意味します。

つまり、それまで国家を実質的に動かしてきた人々が官庁から消えたことで国家の再建と運営に必要な人間がすっかりいなくなってしまったのです。

こうなってしまえば国家の再建は難しいと言えますね。

軍人追放で…


また追放されたのは公務員のみならず軍人や警察も当然に追放ということで職を失うことになりました。

今まで治安維持を担っていた軍人や警察がいなくなったことで戦後イラクの治安は当然に悪化しました。

それだけでなく首になった元警官や軍人はイラク戦争前後の給料が支払われていないことに対してデモを起こしたのですが、米軍がデモ隊に向かって発砲するという事件が起きてしまいます。

これによってデモ隊側に死者が発生しまい米軍に対する不信感や憎しみが一気に高まることになるのでした。

対米不信が生み出したもの

さて今まで見てきたように戦後イラクを統治することとなったアメリカは、戦後復興を上手く進めることが出来ずイラク人に失望されるだけでなく、おおっぴらに憎まれるようになりました。

こうした対米不信と憎しみが戦後イラクのテロを爆発的に加速させ、戦後の政治的、治安的混乱を大きくしたと言うことができるでしょう。

この対米不信によって生まれた混乱は、やがてイラク国内に大きな亀裂を打ち込んでいくことになるのです。

その亀裂こそが宗派的な対立であり、民族的な対立と言えます。

この対立がやがてはイラクのみならず中東全域にそして全世界に強力な打撃を与えるのですね!

そして、この打撃の最終的な形がイスラム国なのです…。

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