3分でわかる!?三枚舌外交

      2017/12/08

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パレスチナ問題の原因として語られることの多い、イギリスの三枚舌外交。

なぜイギリス後々に面倒くさい事態になるであろう外交をしたのでしょうか?

イギリスの三枚舌外交の原因を探っていこうと思います!

 

三枚舌外交とは何ぞや?

そもそも三枚舌外交って何だよ!と思う人もいるはず。そこで三枚舌外交の内容を軽く説明していきますね〜。

三枚舌外交というのはイギリスがフランス、ユダヤ人、アラブ人の三者と矛盾する約束をしたことです。

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フランスとは、第一次世界大戦後オスマン帝国の領土である東アラブを分割してそれぞれの勢力圏にしようと約束しました。(サイクス・ピコ協定)

ユダヤ人にはパレスチナの地に民族的郷土(national home)の建設に賛同を表明した、バルフォア宣言を与えました。

アラブ人とはアラブ独立国家の樹立を約束しました。(フサイン・マクマホン協定)

以上が三枚舌外交と呼ばれる、イギリスの外交政策の大まかな内容です。

これらの約束になにが問題であったかというと、矛盾が入り込むような形でイギリスがそれぞれと約束をしてしまったことです。

三枚舌外交の理由

さて、ここからが本題!イギリスはなぜこの様な矛盾した約束をしたのでしょうか?

その原因は1914年から1918年に行われた第一次世界大戦にあります。

イギリスはこの戦争で、ドイツとオスマン帝国と戦っていました。

オスマン帝国は現代の中東付近も領有しており、もしオスマン帝国が第一次世界大戦に負けることになれば中東地域は戦勝国に分割されるのは目に見えていました。

この分割がイギリスにとって肝心な出来事といえるのです!

オスマン帝国を倒した後の中東分割がイギリスにとって肝心な問題になった原因は、イギリスによるインド植民地支配があります。

イギリスにとってインドは「王冠の最大の宝石」と呼ぶほど重要な植民地でして…。(最大の宝石とまで表現されるのだから、インドがどれだけイギリスに対して利益を与えていたのかがよく分かりますよね~。)

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さて、莫大な富をもたらしてくれるインドとイギリス本国を結んでいたのはスエズ運河でした。

このスエズ運河はエジプトとシナイ半島をちょうど横切る形で存在していたため、ヨーロッパとアジアの船舶での連絡を非常に容易にしていました。

もし、この運河がなければ、船舶でヨーロッアパからアジアまたはアジアからヨーロッパへの航路はアフリカ大陸を一周する形になり時間的にも資金的にもコストが跳ね上がってしまいます。

ですから植民地インドの経営が帝国の支配を支えていたイギリスにとっては、スエズ運河の支配権が自国または影響力を行使できる国以外に持っていかれることは非常に嫌なことだったのです。

とりわけ第一次世界大戦後スエズ運河付近がライバルのフランスの影響下に置かれることはイギリスにとって絶対に認めたくありませんでした。

スエズ運河がフランスの影響下に置かれれば、急所を握られるようなものです。

ユダヤ人資本家から借金をしてまでイギリスはスエズ運河の経営権を掌握したのですから、とにかく自分たち以外の国がスエズ運河に影響力を行使されるのを避けたかったのです。

(まぁスエズ運河を完成させたのはフランスだったんですが…。しかしエジプトが財政難からスエズ運河の株式を大量に手放し、これをイギリスがユダヤ人資本家から借金をしてまで購入したので経営権をイギリスが握ることになったのでした。またスエズ運河が完成した際にアイーダが作られたりしています。)

そんなわけで、イギリスは戦争が終わる前にフランスと話をつけるのです。「ここは俺ので、あそこはお前のものにしよう」と。

こうしてイギリスはスエズ運河の運営にフランスが影響力を行使できないような形で戦後の中東分割案をまとめ上げたのです。

これがイギリスとフランスの間で結ばれたサイクス・ピコ協定の大まかな流れです。

サイクス・ピコ協定が何で結ばれたのは、インドからの利益を守るためだったんですね。他にも大戦からフランスを脱落させないために中東というエサをぶら下げといった理由もあるんですね〜。

じゃあ他2つの約束がされたのは何でや、というこで残りの約束がなされた原因を見ていきましょう。

 

次に見ていくのは、フサイン・マクマホン協定

フサイン・マクマホン協定の中身は上記に書いたようにアラブ人に独立王国を与えること。

国を与えようというんだからイギリスは相応の代償を求めます。

アラブ人が望んだ独立国を与えることに対しての代金はオスマン帝国に反乱を起こすこと。

これを受けてメッカの太守であるハシーム家のフサインに率いられてアラブ人は反乱を開始するのでした。

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アラブ人の反乱に手を貸したイギリスの情報将校だったロレンス

さてイギリスは何故アラブ人に反乱を起こさせたのか?

それはアラブ人がオスマン帝国に反乱をおこすことで、オスマン帝国は内部からボロボロになりイギリスを十分に攻撃できなくなるからですね~。

アラブ人が反乱を起こすことで、オスマン帝国はアラブ人の反乱の対処に兵力を投入せざるを得なくなるからです。

ついでにスエズ運河を通るイギリスの船に妨害する可能性を減らせますしね。

オスマン帝国がスエズ運河あたりで暴れて、インドからの物資や人員が送られなくなるとイギリスとしてはベラボウに困ったことになるので、アラブ人に反乱を起こさせたかったのでしょうね~。

この約束は、イギリスが戦争に勝利するために結ばれたといえますね。

最後にバルフォア宣言。

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バルフォア宣言が出された原因は第一次世界大戦でイギリスの経済が苦しくなっていたとこにあります。

ユダヤ人の国がかつてあったとされる場所に彼らの民族的郷土を建設すると宣言することで、アメリカで経済的に成功したユダヤ人の資金援助や、彼らがアメリカ政府にイギリスを助けるように圧力をかけてくれることを期待しバルフォア宣言を出しました。

バルフォア宣言は在米ユダヤ人が喜んで資金と兵力をイギリス政府に提供するための、魅力的な報酬として提示されたのですね。

これも戦争遂行のために出された宣言といえるでしょう。

三枚舌外交がもたらしたもの

イギリスが三枚舌外交を行った原因を見てきました。

その多くは第一次世界大戦とインドの権益を守ることが関わっていることがよくわかります。

当時のイギリスは中東にもともと住んでいる人の存在はあまり考えず、ただただ戦争の勝利のため、場当たり的にこの三つの約束を行ってきました。

なので約束の間に矛盾が生じる事態に陥ってしまったわけです。

この矛盾だらけの約束を第一次世界大戦後イギリスがどう捌いたのでしょうか?

自称芸術的な手段で解決

まず、イギリスはサイクス・ピコ協定に則りフランスと中東地域を分割しました。

この分割はアラブ人には中東全土を独立王国として与えられると思っていたハシーム家の怒りが引き起こすものでした(まっ当然ですよね~、アラブ人は当然に約束が破られたように感じますし)

そこでイギリスはハシーム家の怒りをどうにかするために自分たちの勢力圏となった、ヨルダンとイラクの国王にハシーム家を迎えることで懐柔をはかりました。

結果ハシーム家の怒りはおさまり、事なきを得他のです。

イギリスにとって、この解決方法は芸術的だと自画自賛するほど良いものに映っていたんですね!(ヨルダンの王家は現在も続いていますが、イラクの方の王家は第二次世界大戦後に革命で潰れてしまいました)

しかしアラブの民衆はオスマン帝国下では国境もなく自由に行き来できましたし、イラク人とかヨルダン人といった区別がなかったのにこの様な区別が勝手に作られたことに対して不満を持つ者は少なくありませんでした。(国境ができたことで関税や国境のせいで商売が行いにくくなったことも不満の一要因と言われています)

実際ISが既存の国境を破壊すると主張している背景には、この様なサイクス・ピコ協定による外部からの勝手に変更を加えられたと言う不満があるためなんですね。

バルフォア宣言の結末は…

またバルフォア宣言でパレスチナの地にユダヤ人の入植を認めました。

しかし短期間で大量のユダヤ人がやってくるとなると元々いたアラブ人と対立することは明らかです。

そこでイギリスはアラブ人とユダヤ人の対立が激化しないように、ユダヤ人の年間受け入れ人数を定めていました。

ですが、ユダヤ人がそれを無視してどんどんやって来たため、イギリスは大変手を焼くことになります。

例えば受け入れ人数の上限をなくせとユダヤ人にテロを起こされたりするのですね。

さらにナチスドイツが成立するとドイツから逃げてきたユダヤ人を収容するため、イギリスが定めた受け入れ制限を撤廃しろとユダヤ人が起こすテロは一層過激化していきました。

最終的には第二次世界大戦後イギリスは自分では対処仕切れないと、この問題を国際連合に丸投げするわけです…。

イギリスが初め心配したように、ユダヤ人の人口が急に膨れ上がっていきます。

このためユダヤ人とアラブ人の間には大きな溝ができてしまいました。

もともとパレスチナはキリスト教、ユダヤ教そしてイスラム教の聖地でしたので、オスマン帝国の支配下ではこの三つの宗教を信仰する人達はそれなりに共存してきました。

しかしイギリスが捌くのが非常に難しい外交政策と戦後処理をうまく対処できなかったため、パレスチナの共存関係は崩壊していくことになったのです。

パレスチナ問題についてまとめてみました!気になる人はどうぞ

イギリスとしては上手く三枚舌外交の約束を華麗に捌いたつもりだったのですが(実際に当初は自画自賛していたりした)、結局は多くの問題の原因になってしまったのです。

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