3分でわかる!?三枚舌外交

      2016/12/01

london

パレスチナ問題の原因として語られることの多い、イギリスの三枚舌外交。

なぜイギリス後々に面倒くさい事態になるであろう外交をしたのでしょうか?

イギリスの三枚舌外交の原因を探っていこうと思います!

 

三枚舌外交とは何ぞや?

そもそも三枚舌外交って何だよ!と思う人もいるはず。そこで三枚舌外交の内容を軽く説明していきますね〜。

三枚舌外交というのはイギリスがフランス、ユダヤ人、アラブ人の三者と矛盾する約束をしたことです。

london-bridge-945499_640

フランスとは、第一次世界大戦後オスマン帝国の領土である東アラブを分割してそれぞれの勢力圏にしようと約束しました。(サイクス・ピコ協定)

ユダヤ人にはパレスチナの地に民族的郷土(national home)の建設に賛同を表明した、バルフォア宣言を与えました。

アラブ人とはアラブ独立国家の樹立を約束しました。(フサイン・マクマホン協定)

以上が三枚舌外交と呼ばれる、イギリスの外交政策の大まかな内容です。

これらの約束になにが問題であったかというと、矛盾が入り込むような形でイギリスがそれぞれと約束をしてしまったことです。

三枚舌外交の理由

さて、ここからが本題!イギリスはなぜこの様な矛盾した約束をしたのでしょうか?

その原因は1914年から1918年に行われた第一次世界大戦にあります。

イギリスはこの戦争で、ドイツとオスマン帝国と戦っていました。オスマン帝国は現代の中東付近も領有しており、もしオスマン帝国が第一次世界大戦に負けることになれば中東地域は戦勝国に分割されるのは目に見えていました。この分割がイギリスにとって肝心な出来事でした!

 

オスマン帝国を倒した後の中東分割がイギリスにとって肝心な問題になった原因は、イギリスによるインド植民地支配があります。イギリスにとってインドは「王冠の最大の宝石」と呼ぶほど重要な植民地でして…。(最大の宝石とまで表現されるのだから、インドがどれだけイギリスに対して利益を与えていたのかがよく分かりますよね~。)

taj-mahal-366_640

 

さて、莫大な富をもたらしてくれるインドとイギリス本国を結んでいたのはスエズ運河でした。第一次世界大戦後スエズ運河付近がライバルのフランスの影響下に置かれることはイギリスにとって絶対に認めることができない未来です。スエズ運河がフランスの影響下に置かれれば、急所を握られうことになるからですね。ユダヤ人資本家から借金をしてまで、イギリスはスエズ運河の経営権を掌握したのですから、とにかく自分たち以外の国がスエズ運河に影響力を行使されるのを避けたかったということがよく分かります。まぁスエズ運河を完成させたのはフランスだったんですが…(スエズ運河が完成した際にアイーダが作られたりしています、個人的にアイーダトランペットを直で見てみたいと思っていたり)

そんなわけで、イギリスは戦争が終わる前にフランスと話をつけるのです。「ここは俺ので、あそこはお前のものにしよう」と。こうして結ばれたのがサイクス・ピコ協定です。

サイクス・ピコ協定が何で結ばれたのは、インドからの利益を守るためだったんですね。他にも大戦からフランスを脱落させないために中東というエサをぶら下げといった理由もあるんですね〜。

じゃあ他2つの約束がされたのは何でや、というこで残りの約束がなされた原因を見ていきましょう。

 

次に見ていくのは、フサイン・マクマホン協定

フサイン・マクマホン協定の中身は上記に書いたようにアラブ人に独立王国を与えること。国を与えようというんだからイギリスは相応の代償を求めます。アラブ人が望んだ独立国を与えることに対しての代金はオスマン帝国に反乱を起こすこと。これを受けてメッカの太守であるハシーム家のフサインに率いられてアラブ人は反乱を開始するのでした。

rorennsu

アラブ人の反乱に手を貸したロレンス

さてイギリスは何故アラブ人に反乱を起こさせたのか?それはアラブ人がオスマン帝国に反乱をおこすことで、オスマン帝国は内部からボロボロになりイギリスを十分に攻撃できなくなるからですね~。アラブ人が反乱を起こすことで、オスマン帝国はアラブ人の反乱の対処に兵力を投入せざるを得なくなるからです。

ついでにスエズ運河を通るイギリスの船に妨害する可能性を減らせますしね。オスマン帝国がスエズ運河あたりで暴れて、インドからの物資や人員が送られなくなるとイギリスとしてはベラボウに困ったことになるので、アラブ人に反乱を起こさせたかったのでしょうね~。

この約束は、イギリスが戦争に勝利するために結ばれたといえます。

 

最後にバルフォア宣言。

star-of-david-458372_640

バルフォア宣言が出された原因は第一次世界大戦でイギリスの経済が苦しくなっていたとこにあります。ユダヤ人の国がかつてあったとされる場所に彼らの民族的郷土を建設すると宣言することで、アメリカで経済的に成功したユダヤ人の資金援助や、彼らがアメリカ政府にイギリスを助けるように圧力をかけてくれることを期待しバルフォア宣言を出しました。

バルフォア宣言は在米ユダヤ人が喜んで資金と兵力をイギリス政府に提供するための、魅力的な報酬として提示されたのですね。これも戦争遂行のために出された宣言といえるでしょう。

 

三枚舌外交がもたらしたもの

イギリスが三枚舌外交を行った原因を見てきました。その多くは第一次世界大戦とインドの権益を守ることが関わっていることがよくわかります。当時のイギリスは中東にもともと住んでいる人の存在はあまり考えず、ただただ戦争の勝利のため、場当たり的にこの三つの約束を行ってきたため、約束の間に矛盾があるわあるわで…。この矛盾だらけの約束を第一次世界大戦後イギリスがどう捌いたのでしょうか?

 

まず、イギリスはサイクス・ピコ協定に則りフランスと中東地域を分割しました。この分割はアラブ人には中東全土を独立王国として与えられると思っていたハシーム家の怒りが引き起こすものでした(まっ当然ですよね~、アラブ人は当然に約束が破られたように感じますし)

そこでイギリスはハシーム家の怒りをどうにかするために自分たちの勢力圏となった、ヨルダンとイラクの国王にハシーム家を迎えることで懐柔をはかりました。結果ハシーム家の怒りはおさまり、事なきを得ました。イギリスにとって、この解決方法は芸術的だと自画自賛するほど良いものに映っていたんですね!(ヨルダンの王家は現在も続いていますが、イラクの方の王家は第二次世界大戦後に革命で潰れてしまいました)

しかし、アラブの民衆はオスマン帝国下では国境もなく自由に行き来でき、イラク人とかヨルダン人といった区別がなかったのにこの様な区別が勝手に作られたことに対して不満を持つ者は少なくありませんでした。(国境ができたことで関税や国境のせいで商売がしにくくなったことがあったので)

実際ISが既存の国境を破壊すると主張している背景には、この様な不満があるためなんですね。

 

またバルフォア宣言でパレスチナの地にユダヤ人の入植を認めました。しかし短期間で大量のユダヤ人がやってくるとなると元々いたアラブ人と対立することは明らかでした。そこでイギリスはアラブ人とユダヤ人の対立が激化しないように、ユダヤ人の年間受け入れ人数を定めていました。

ですが、ユダヤ人がそれを無視してどんどんやって来たため、イギリスは大変手を焼くことになります。例えば受け入れ人数の上限をなくせとユダヤ人にテロを起こされたりします。(最終的には第二次世界大戦後イギリスは自分では対処仕切れないと、この問題を国際連合に丸投げするわけで…。)

イギリスが初め心配したように、ユダヤ人の人口が急に膨れ上がったことでユダヤ人とアラブ人の間には溝ができてしまいました。この溝はパレスチナ問題につながっていきます。

パレスチナ問題についてまとめてみました!気になる人はどうぞ→  今すぐ分かる!?パレスチナ問題

イギリスとしては上手く三枚舌外交の約束を華麗に捌いたつもりだったのですが(実際に当初は自画自賛していたりした)、結局は多くの問題の原因になってしまったのです。

 - パレスチナ問題, 中東