政治学をかじらなければ普通は聞くことがないと思われるリバタリアニズムという言葉。
ただマイケルサンデルの白熱教室が話題になった際に、このリバタリアニズムという言葉も以前よりは世間に知られるようになったとも言われています。
しかし、だからと言ってこんな言葉を知っている人はそこまで多くないでしょう。
そこで今回はリバタリアニズムをどんなものか簡単に説明していこうと思います。
目次
リバタリアニズムとはなんぞや?
このリバタリアニズムは何かと問われれば、簡単に言ってしまえば政治哲学の一種といえるでしょう。
つまりリバラリズムや保守主義のように政治においての立場の一つと言えますね。
さて肝心のその内容はどう言ったものかというと、一言で説明してしまえば「国家権力や支配からの徹底的な開放」を求める立場といえるでしょう。
国家権力からの開放と聞くとリベラリズムいわゆるリベラルと同じ立場じゃんと思う人も多いでしょう。
リベラリズムの立場については以下の記事でまとめてみたので参考にしてみてください。
リベラリズムと富の再配分機能
リベラリズムとリバタリアニズムの間には大きな違いがあります!
それはリベラリズムは国家によって行われる富の再配分に対してより肯定的な姿勢をとるのに対して、リバタリアニズムはそれに対して否定的な見解をとっています。
リバタリアニズムの基本姿勢としては個人の所有権の絶対性を認めるところに価値を置いています。
ただ国家による富の再配分がどうとかこうとか言われてもイメージがわかない人もいるでしょう。
ですから簡単に説明していこうと思います。さてまずは国家による富の再配分機能は何かと言うところから見ていこうと思います。
国家による富の再配分機能を簡単に言ってしまえば税制や公的医療制度のことですね!
基本的に税制や公的医療制度の目的としては富裕層からそうでない国民に富を移転し、国民全てに対してある程度の生活水準を保証するところにあります。
現在日本での累進課税や公的年金は国家による富の再配分機能の代表的な例としてあげることができるでしょう。
このように国家によって持てる者から持たざる者への富の再配分機能に肯定的な立場をとるのがリベラリズムの基本姿勢なのです。
リバタリアニズムとノージック
さて、ここからが本題であるリバタリアニズムの姿勢を見ていきます。
先ほども挙げたようにリバタリアニズムの立場としては国家の再配分機能に対して否定的な立場をとっています。
つまり簡単に言ってしまえばリバタリアニズムは課税や公的年金に対しても基本的には反対の立場と言えるのですね。
これだけをみると年金とか社会保障がなくなると大変なのにそれを支持するリバタリアニズムの考えは理解しにくと思う人もいるでしょう。
しかしリバタリアニズムの大家でありハーバート大学で哲学教授だったロバートノージックの考えを見てみるとリバタリアニズムの考えも一理あるように思えるかもしれません。
課税行為は強制労働である!?
お金を得るオーソドックスな方法としては、フルタイムの仕事に限らずアルバイトなど様々な労働の対価として獲得することですよね。
しかし税金は必死に稼いだお金の一部をを情け容赦なく分捕っていきます。社会人ですと毎月の額面と手取りの間にやるせない気持ちを持つ人もいるでしょう。
ここでノージックは政府による税の徴収は人々が生み出した価値を巧妙に掠めとる許し難い行為であり、人々を強制労働に従事させていることと同等だと強く非難しています。
強制的に徴収された税金の行き先について疑問や不満を感じている人であれば課税行為は強制労働と同じと言う考えに賛成派できなくとも、理解はできるのではないでしょうか。
このようにリバタリアンの考えでは税金や社会保障のための強制的な負担は国家よって行われるこそ泥行為と言えるのです。
個人の意思を最大限に尊重するリバタリアニズムの考えに沿えばもし政府が社会保障などのために資金が必要となれば強制的な課税によってではなく、個人の自発的な意思によって提供された資金(例えば寄付など)によって達成されるべきとなるのです。
(つまりこのリバタリアニズムの考えからすれば見る気もない放送局から受信料を強制的に徴収されることは甚だ不当といえるのですね…)
そして実際に累進課税制度によって重い税負担を負っているが再配分機能の恩恵を実感する機会が少ない高所得者にとっては、このリバタリアニズムの考え方はより魅力的に感じられるのですね。
また高所得者だけでなく税負担を重く感じているのにその見返りが少ないと感じられる人にとってもこのリバタリアニズムの考え方に一理あると感じられるでしょう。
リバタリアニズムへの批判
さてここまではリバタリアニズムの考えを見てきました。もしかしたらリバタリアニズムって最高じゃん!と思っている人も多いかもしれません。
しかしリバタリアニズムにも強く批判される問題がそれなりに含まれています。
そこでここからはリバタリアニズムが抱える問題はどんなものかを簡単に見ていこうと思います。
問題点その1
さて限度は人によって様々ですが、先ほど確認したようにリバタリアニズムによると国家は小さければ小さい方が良いことになります。
そうなると社会保障機能も弱体化、極端な場合ですと廃止が正しいとされます。
そしてリバタリアニズムの問題点としてはまず第一にこの社会保障機能が著しく弱体化する点です。
なぜ社会保障の弱体化が問題なのかは、実際に社会保障が廃止ないし著しく弱体化した社会を想像してみればよくわかると思います。
社会保障の著しい弱体化の問題の一例として医療が非常に高額になる点を指摘できるでしょう。
現状の医療保証制度においてはガンなどの治療において国が財政的にバックアップを行っています。
しかし社会保障が消滅、または大幅に削られるとこのような国家による金銭的支援も同じように消滅、削減の道をたどることが予想できます。
そうなってしまえば従来はガンの治療などでもそこまで患者にコストがかからなかった時代は終わり、患者は治療のために非常に大きい支出を強いられます。
そうなると今までは医療を受けることができた人でも費用が出せないから医療を受けることができない状況に陥ります。
結果として極端な話ですが、高額な医療が必要となる病気になってしまえば富裕層以外は死ぬしかない社会になってしまうのです!
このように人が医療を受けられずバタバタ死んでいく社会が望ましいかと問われれば多くの人は否定するはずです。
他にも社会保障がなくなると教育制度や労働環境の大幅な悪化が起こりえます。
このようにリバタリアニズムは社会環境の破壊を引き起こしかねないと批判することができます。
問題点その2
リバタリアニズムに対しては次のような批判もあります。
それは富裕層やリバタリアニズムの賛同者はこれまで再配分機能の恩恵を受け取ってきたのにそれを縮小、廃止することは社会保障のタダ乗りではないかつまりフリーライダーではないかと言う批判です。
リバタリアニズムを信奉する人でもこれまでの人生で教育を受けたり、病院に通ったことがないという人はいないはずです。
こうした教育や医療の恩恵を受ける人が支払う金銭的対価は小さいものです。
なぜ恩恵を受ける人の金銭的支出が少ないかというと、国家が課税行為によって集めたお金をそこに投入しているからです。
実際に今の日本では義務教育は無料ですし、医療費も本人の負担は3割に止まっています。
こうした制度が機能しているのは政府による再配分が機能しているからなのです!
もしリバタリアンが主張するように政府の再配分機能を弱体化させたら、それから先の時代の国民は低負担で済む教育や医療の恩恵を受けることは難しくなります。
こうなると将来の国民としては昔の世代は安く教育や医療を受けていたのに、自分たちはそれを得ることができないのは不公平だと不満を持つことが予測できますよね。
こうした将来世代からの不満が噴出するであろうことが予知できるからこそ、リバタリアニズムの考えは社会保障のタダ乗りだと批判することができるのです。
このようにリバタリアニズムは良いと思われる側面もあれば、肯定できない側面も持っています。
しかしあまり日本では話題になることがないリバタリアニズムという考えがあると知っているだけでも今の政治的にも経済的にも閉塞したように思われる空気を吹き飛ばせるような気を持つことができるのではないでしょうか。
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