三分でわかる!?イラク戦争の原因

      2018/06/24

2003年に勃発したイラク戦争。

今ではこの戦争は間違っていたという主張もよく耳にします。

しかし間違っていたと批判されるような、この戦争は何故引き起こされたのでしょうか。

そこで今回はイラク戦争が起きた原因と、そしてこの戦争が生み落とした現在の危機的な中東情勢の関連性について深掘りしていこうと思います。

イラク戦争とアメリカ

さて、そもそも何故アメリカは2003年にイラクを攻撃したのでしょうか。

その理由としては以下の2点を挙げることができます。

9.11同時多発テロと、対テロ戦争の一環で行われたアフガニスタンへの攻撃が非常にうまくいったことです。

同時多発テロ

20001年9月11日にアメリカは世界貿易センタービルやペンタゴンがイスラーム過激派アル=カイーダによって攻撃されます。(そして、攻撃は他にもホワイトハウスなどアメリカの中枢部を対象にしていたことが後に判明しました。)

米国は独立戦争以来これ程までの本土への大規模攻撃を受けたことがありませんでした。

なので非常にパニックに陥ったわけですね。同時多発テロが起こってから数日の間は、テロ関係のニュースがひっきりなしに放送されていたことから混乱がよくわかります。

さてこうしたパニックの中でアメリカでは多くの同胞が理不尽なテロ行為によって殺されたという認識と、それに対して報復を行う必要性があるという空気が生まれたわけです。

実際、攻撃を受けたその日のうちにブッシュ大統領は犯人とその支援者を処罰することを表明しました。

また上院もブッシュ大統領の声明を満場一致で支持しました。

アメリカの上院は合衆国の外交に関して議決権を持っています。

なのでこの大統領への支持は、もし処罰を与えるために国外での活動が必要ならそれを認める可能性が高いことを暗に示していますね

またアメリカ国民の8割の間ではブッシュ大統領の意見を支持していたことから、このテロに対しての報復の必要性をアメリカ全体で共有していたことがわかりますね。

そうした中で、その報復対象にしてあげられたのはテロ行為を働いたアル=カーイダとその仲間たちと言うわけです。
そしてフセインによる独裁政権下のイラクも次第にこの「仲間たち」に含められるようになります。
こうしたテロによって引き起こされたアメリカの安全保障への希求が、イラク攻撃の一要因と言えるのですね。

アフガニスタン侵攻

第二の理由がこのアフガニスタン侵攻です。

第一の理由で述べたようにアメリカでは安全保障のため、テロリストとその仲間たちを力ずくでも排除する必要性があるという認識が広まっていました。

そうした中で、テロを実行した組織アル=カイーダの首領オサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンに潜んでいるとする説が強く主張されるようになるのですね。

もともと、ビン・ラディンは1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻の際にムジャヒディーン(聖戦士)としてアフガニスタンで対ソゲリラ戦を行っていました。

アフガニスタンからソ連が撤退した後は故国のサウジアラビアに帰国するのですが、その急進すぎる宗教観を持っていたことなどから追放の憂き目に会うこととなります。

そしてビン・ラディンはアラブ世界を放浪し、ゲリラ戦に青春を捧げたアフガニスタンに帰還するのです。

当時のアフガニスタンはタリバンというイスラム過激派が支配していました。

そのためアフガニスタンは過去には無神論者のソ連からアフガニスタン解放に尽力し、そして現在では大悪魔たるアメリカとの戦いに身を投じているビン・ラディンを暖かく?迎えたわけですね。
こうした状況下でアメリカはテロの首謀者たるビン・ラディンを裁くため、その身柄を引き渡すようにアフガニスタンのタリバンに要求します。

しかしタリバンは最終的には反ソゲリラ行動の恩人たるビン・ラディンらの身柄を引き渡すことを拒否するのですね。

テロ活動の実行犯に制裁を加えることを望んでいたアメリカにとって、アフガニスタンの身柄引き渡し拒否は到底許せるものではありませんでした。

そこで、アメリカは実力行使をしてでもビン・ラディンを捕まえるということでアフガニスタンに侵攻するのです。

そして、このアフガニスタン侵攻は当初の予定よりもあっさりと完了してしまいました。

テロ攻撃によってヒステリックに安全保障を求めていたアメリカにとって、この予想外な軍事的大成功は一層強力な「テロ活動の支援者」でも容易に倒すことができるのではと自信を深めさせることになるのです。

そしてこのより強力な「テロ活動の支援者」こそがイラクの独裁者サダム・フセインなのです!

このような理由からアメリカは、湾岸戦争に置いて止めを刺さなかったフセインを排除するためにもイラク戦争開戦やむなしに傾きだすのですね。

さてアフガニスタン侵攻の肝心な目的であるビン・ラディン逮捕ですが、結局は失敗することになります。

米軍はビン・ラディンをアフガニスタン国境沿いの岩山まで追い詰めしらみ潰しに探すのですが、逮捕することに失敗したのです。

逆にビン・ラディンはこの逃走劇の成功によって、イスラム過激派にとって文字通り伝説的な存在となるのです。

イラク戦争と湾岸戦争のつながり

さてアメリカはアフガニスタン侵攻によってフセイン打倒の自信を深めました。

そして安全保障を絶対のものにするため、その排除を決意することになります。

ただ9.11テロに関与していなかったイラクを理由もなく攻撃することは、いくら冷戦後唯一の超大国となったアメリカでも許されることではありません。

そこでアメリカが目をつけたのが悪名名高い湾岸戦争後イラクに課された「停戦条約」を持ち出すのです。

イラクはこの条約によってクウェート人捕虜を解放することを義務付けられていたのですが、それを実行しなかったため厳しい経済制裁の下に置かれていました。

おそらく捕虜の人たちは湾岸戦争のゴタゴタで亡くなっていたので、解放したくともできなかったのでしょうね

そして、この「停戦条約」は他にも大量破壊兵器の放棄をイラクに課していました。

そこでアメリカはこの「大量破壊兵器の放棄」という条項を利用することにするのです。

そこでアメリカは、イラクのフセインは湾岸戦争の「停戦条約」で定められた大量破壊兵器の廃棄を行っていないどころか、それをテロリストに横流しをしている疑惑があると主張するようになるのです。

後に判明したようにイラクは大量破壊兵器を保持していませんでした。
しかし、イラクのフセイン政権は大量破壊兵器を保持しているような態度を匂わせつつ国連による大量破棄兵器の放棄に関する査察を拒否しました。

アメリカは本当にアフガニスタンに攻撃したので、イラクのこのような態度はアメリカから攻撃を受ける可能性を高める行為と簡単に判断することができますよね。

しかしフセイン政権はあえてそのような行為を選んだのです。

もちろんその理由としてはフセインがそのような危機があることすら理解できない愚か者だったからというわけではありません。

フセインはもちろんそのような危険性があることを十分に承知してました。

ですがあえてそのような態度を選択したのです。

その理由としては2点あげることができるでしょう。

独裁者ゆえの理由

第一の理由としてはサダム・フセインが独裁者だったからと言えます。(これだけですと訳が分からないと批判されてしまいますね)

フセインは大量破壊兵器を放棄していることを証明するために国連の査察を受け入れなくてはいけませんでした。

しかし、この査察においてある問題がありました。それはイラク各地にある大統領宮殿などが査察の対象になっていたことです。

こうした大統領宮殿には非常時におけるフセインの隠れ家や避難通路が存在するとかしないとか囁かれていました。

そのため、それが存在しないことが証明されたり逆にどこに存在しているのかがバレてしまえば万が一イラク国民が不満を爆発させた際には、独裁者フセインの身の安全が保障されない危険性があり、それは避けたかっあのでしょう。

また外国(特にアメリカ)がいちゃもんをつけてきて戦争になった場合、そうした隠れ家などがバレていたら簡単に攻撃されてしまいヤバイということで査察を拒否したのですね。
(実は、査察官の多くがアメリカ人だったりするのですね。こうなるとフセインの査察への拒否感が理解できますね。)

(話は変わりますが、こうした事情を勘定するとイラクが大量破壊兵器が存在しないことを証明できなかったから悪いという意見には全面的には賛成できない気がしますね)

対イランのため

第二の理由としては対イランへの理由が挙げられます。

イラクは1980年から1988年にかけてイランと戦争を行っていました。

この戦争の初期においてイラクは優位性を保っていたのですが、後期になるとイラン軍の侵入と占領を許すまで戦況が不利になっていました。

こうした負け戦さを体験したイラクにとっては対イランへの備えを万全にしたいという思いがあったのでしょう。

そこで大量破壊兵器があるぴょ〜んとブラフでも飛ばしておけば、イランも報復が怖いからボコりに来ることはねえべと思ったらアメリカに半殺しにされてしまったという結果になってしまいました。

以上のような理由からイラクはあたかも大量破壊兵器を保持しているかのように振る舞ったのですね。

まさに、ここでリアリズムのジレンマを見ることができますね。

ネオコンとアメリカ

さてここまではイラク側の動きを確認してきました。

ここからは一応ですがアメリカの動きも確認しておこうと思います。

なんども繰り返していますが、アメリカは同時多発テロによって絶対的な安全が欲しいということでテロリストとその支援者の壊滅に向けて全力投球してきました。

そしてイラクへの攻撃もその一環で行われたわけですね。

ただ、そうした安全性の確保という目的だけでイラク戦争に突っ走ったわけではありません。

ある政治思想を持つグループがブッシュ政権の中枢部に存在したことが、イラク戦争を不可避なものにしていったのですね。

そのグループとはネオコン(Neoconservatism、新保守主義)と呼ばれる政治思想を持つ人たちです。

ネオコンの思想としては簡単に言えば全世界に自由と民主主義という福音を時には強引な手段を使ってでも伝導することがアメリカに課された義務であり、全人類の正義にかなった行為だとするものです。

ですから彼らネオコンは独裁者フセインの残虐な統治下にあるイラクを解放することの必要性を強く主張し、またそれが受け入れられたことでイラク戦争開戦の流れが加速していったのですね〜。

そしてイラク戦争はイスラム国を生み出す…

さて結局イラクは大量破壊兵器保持の疑惑を晴らすことができず、アメリカとその有志連合との戦争に突き進むことになってしまいました。

この戦争は結果は多くの人が知るように、アメリカの強大な軍事力によってわずか2ヶ月未満で終結することとなりました。

しかし、この戦争はアメリカのみならず全世界にとっての災厄を産み落とすことになりました。

失敗国家イラク

イラク戦争によってサダムフセインの独裁政権を倒したアメリカは、イラクを最初は連合国そしてイラクの新政府に統治させました。

しかし、イラクの統治を任された連合国も新政府もフセインに忠誠を誓っていた者や宗教過激派の爆弾テロなどによって、その能力を完全に奪われる形になってしまっていたのですね。

そのためイラク戦争後のイラクは国土全土を有効に統治することができる中央政府が存在せず、有象無象がイラク国内で好き勝手に勢力を蓄えることができたのです。

そして、その有象無象の中には後にイスラム国(IS、ISIS,ISIL)と名乗ることとなる過激派組織があったのですね。

つまりイラク戦争による混乱の中からイスラム国が生まれたとも言えるのです。

こうして見ると現在の中東のみならず世界問題の一部はイラク戦争が母親と言えます。

まさにイラク戦争はバビロンの大淫婦だったわけですね〜。

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