3分でわかる!?ソ連のアフガニスタン侵攻

      2016/10/16

ussrアフガン侵攻

後に9.11テロを実行するアル・カイーダの中心人物を含む、数多くのムジャーヒディーン(聖戦士)を生んでいったと名高いソ連によるアフガニスタン侵攻。

そもそも何故ソ連はアフガニスタンに侵攻したのでしょうか?また、後に反米テロに従事するようなったムジャーヒディーンがどうして登場したのでしょうか?

そのワケを見ていこうと思いますね。

 そもそも、アフガニスタンってどんな国?

ソ連がアフガニスタンに侵攻した理由を見る前にアフガニスタンはどんな国なのかを確認!アフガニスタンがどんな場所にあるかは地図を見て確認した方が把握しやすいですね~。中央アジアなんて、日本人は普通でしたら気にも留めないと思うので。

アフガニスタンmap

地図に赤線が引いているところが、アフガニスタン!

~スタンっていう国が周りに多い!っていうのが率直な感想。この「スタン」は「国、地域」を表す言葉だそうです。

アフガニスタン東部には国境をまたいでパキスタンにも存在する、パシュトゥーン人が多く暮らしています。

 

かるーくアフガニスタンの歴史を見ますと、この国は度重なる独立戦争の後に1919年にイギリスから独立。(やったぜ!)1973年まで王政を行っていましたが、ダーウード首相による革命によって共和制…。この革命で大統領に就任したダーウードですが、革命に協力した左派の人民民主党と憲法改正において対立し、また国内のイスラーム復興運動を弾圧したためにイスラーム復興運動家とも対立しました。結果、国内の支持基盤が揺らいだ状況に置かれたダーウードは1978年に起きた4月革命で殺害されることに…。(あーあやっちまった)

 

で、ダウードが排除された4月革命後に権力を握ったのが人民民主党ですね。しかしこの政党の指導者タラキーは失策をやらかしてしまい、権力の座を虎視眈々と狙っていた同党のNO2のアミ―ンがこの失策をこれでもかと非難するわけで。(トップになりたいアミンはこれを利用してタラキーをサクッと排除したかったんでしょうね〜)

そうこうしているうちに、1979年の10月にタラキーが急死してしまいます。これによってアミーンはアフガニスタンの指導者の立場をゲットしたのですね。

政権を握ってご満悦なアミーンでしたが、その2ヶ月後の12月にソ連による侵攻によって死亡してしまうのでした〜。(100日天下ならぬ、60日天下だったアミーン。悲しいなぁ…。盛者必衰ですね〜。)

なんでソ連はアフガニスタンに侵攻したのか?

はてさて、なぜにソ連は種がにスタンに侵攻にしたのでしょうか。1970年代は確かにデタント(アメリカとソ連の緊張関係が緩和されていた)があったとはいえ、冷戦の真っただ中。ソ連がアフガニスタンに侵攻すれば、アメリカと再び緊張関係が訪れると予想できたのに(実際、ソ連はもともと侵攻に消極的だった)では何故ソ連はアフガニスタンに侵攻したのでしょうか?

 

 

その理由は2つあるのです!

1つ目の理由は、アメリカがアフガニスタンに接近していたように見えたこと。

1979年の2月にアメリカの中東地域におけるパートナー、イランのシャー政権が倒されて反米的なイスラーム共和国に転換したため、アメリカは新しいパートナーを探していたんですね!このときアフガニスタンを指導していたアミーンという人物。彼はかつてアメリカに留学しており(さらにアメリカのエージェントの連絡先をいつも持っているとの噂話もあり)ソ連にとってアミーンは疑わしい人物でした。(ソ連としてはいつか自分たちを裏切り、アメリカ側に付くのではないかと疑心暗鬼でして)で、当のアミーンは王政廃止後に進められたソ連との協力路線から距離をおき初めたわけでして…。この動きはソ連にアミーンは必ず裏切ると確信させるものだったのです!

 

でも怪しい動きをしているかもとういうだけで軍隊を派遣するものでしょうか?(めったにないはず…?)しかーし、ソ連は軍隊を送ったのです!何故か?そのワケとしてはアフガニスタンとソ連の地理的関係。(地理がどーして侵攻に関係があるのかよ?と感じた人もいるはず)

アフガニスタンはソ連の要所であり、この社会主義国家が親米国にでもなってしまうと、ソ連の国防上に大きな穴が開いてしまうんですね〜。アフガニスタンに米軍基地なんかができたらもう、ソ連の横っ腹にナイフが突き立てられたようなもので。こういうわけでソ連はアフガニスタンがアメリカと手を結ぶ前にどうにかしようと慌てふためいていたのです。そうしてソ連政府にとって国防上の重要さから、アフガニスタン侵攻という手段が考えられるようになったのです!

 

2つ目の理由は、ソ連国内のムスリム(イスラーム教徒)への影響を防ぐため。

当時のアフガニスタンは社会主義国だったっために宗教が厳しく制限されていました。敬虔なムスリム(イスラーム教徒)にとって国の政策は許しがたいものであり、アフガニスタン国内では宗教禁止に対して不満がたまりつつありました。

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(まーたイランかよと思うかもしれませんが)そんな中、1979年に起きたイラン革命によってイスラームを根底とした政権がイランに誕生したんですね〜。この革命が仮に社会主義国アフガニスタンに伝染し、イスラーム主義化するような事になってしまうとソ連にとっては非常にマズいんですね。

なんでソ連にとってまずいかと言いますと…。アフガニスタンがイランに続いてイスラーム国家に変容したとなれば、これに刺激されたソ連国内のムスリムたちが独立運動をするんじゃないかとソ連政府が恐れたからんですね〜。(ソ連にムスリムがいたの?と疑問に思う人もいるはず。実は、ソ連崩壊によって独立したカザフスタンやウズベキスタンなどの中央アジア諸国はムスリムが人口の多くをしめているんですね~。中央アジア地域はロシアが帝政時代から支配しているんですね!)

イラン革命については、ここに詳しく書いています!(よかったらどーぞ)

こうしたわけで、ソ連は国際世論から批判を受けようとも国内のムスリムの動きとアメリカの動向を封じ込める必要があると判断したためアフガニスタン侵攻を実行したのです!

ムジャーヒディーンの登場

ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで、アフガニスタン国内だけでなくアラブ世界(その中にはアル・カイーダの指導者となるビンラディンやISの母体組織を作り上げたザルカーウィーもいたんですね)からもソ連に対抗するムスリムの戦線が結成されました。こうしたムスリムの勢力はジハードを実践する者を意味するムジャーヒディーン(聖戦士)と名乗ったのでした〜。

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アル・カイーダの指導者となるビンラディン

ムジャーヒディーンたちはアフガニスタンに集結し、神を否定するソ連に対してのジハードを実行していくわけでして。(ソ連は共産主義国家なので宗教は否定されていまして…、これがムジャーヒディーンがソ連に果敢に立ち向かった理由の1つなのですね〜。信仰篤いムジャーヒディーンにとって神の否定は許されないものでしたから。)

 

こういうわけでムジャーヒディーンたちは、ムスリムの解放を旗印にソ連が撤退するまで実に9年間も戦い続けたのでした!(9年もゲリラをやってるって、何だか信じられませんね〜)

はてさてムジャーヒディーンは何故9年間も戦い続けられたのでしょうか?たとえムスリムの解放という崇高な目的があったとしても、そんな精神論だけじゃ戦い続けることができないでしょう。(戦い続けられたとしても、ソ連を撤退まで追い詰めることはできなかったでしょうね)

ムジャーヒディーンがソ連を撤退させるまで戦い続けることができたその理由は、アメリカとパキスタンそしてサウジアラビアが支援したからなのです。

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アメリカはムジャーヒディーンに武器を与えるだけでなく、戦闘訓練を施した

アメリカが支援した理由は冷戦構造下だから、ソ連に嫌がらせをするためだと説明できますね〜(実際はイランを失ったアメリカに代わって、ソ連が中東に大きな影響力を持たせないためと、西側諸国に安定した石油の供給を可能とするため中東の湾岸諸国からソ連の脅威を遠ざけるという戦略が存在したからなんですね〜!)

パキスタンがムジャーヒディーンの味方をしたのは、パキスタンとアフガニスタンの間にあった国境問題が大きな要因と言えるかと。ソ連の侵攻のさいに作られた、操り人形とも言えるアフガニスタン政府はパキスタンに対して自分たちに有利な国境を主張したのです。これにパキスタンはブチ切れまして、パキスタンはムジャーヒディーンを自国内で軍事訓練を施し、アフガニスタン解放の戦いに解き放っていくのですね〜。パキスタンはアフガニスタンが混乱している間に有利な国境を引こうと考えていたのです!

ソ連が怖いサウジアラビアは、ムジャーヒディーンやパキスタンに金をばら撒くことでアフガニスタンからソ連を撤退させるなりさせて自国の防衛に努めようとしたのですね〜。

 

こうしてムジャーヒディーンはアメリカなどから強力な援助を受けることによって、長年にわたり戦闘を継続できたのでした。

しかしアメリカから支援を受けたムジャーヒディーンが後に、アメリカにも牙を向くことになろうとは当時は誰も予想しえぬものでした。

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