中東問題を歴史に沿ってわかりやすく解説するよ〜

パレスチナ問題

何かと日本人にはあまり関係ないと思われがちな中東情勢。

しかし、実際には日本の発電やら何やらの主たるエネルギー源の石油は、サウジアラビアやアラブ首長国連邦といった中東各国から輸入されています。

しかも石油の全輸入量の8割が中東からのものですから、日本の産業やらインフラやらとにかく様々な面で中東に依存していると言えるのですね〜。

こんな感じでかな〜り日本と関係があるというよりも影響力がある中東。

そこで今回は訳のわからないまま血みどろの戦争をしまっくっていると思われがちな中東が、どうしてこんな状況になったのかを説明していこうと思います。

中東問題が始まったのはヨーロッパが原因なのか?

さて、中東地域ですが基本的には預言者ムハンマドによって普及されたイスラーム教をベースに帝国が成立しやがては滅んで、新王朝が成立したりというサイクル歴史が展開してきました。

で、現在のめちゃくちゃな中東情勢に直接つながってくるのはイスラーム教スンニ派を国の基礎とするオスマン帝国が末期に西洋と結んだ関係なんです!

それ以前にもヨーロッパ世界とイスラーム世界には十字軍も含め様々な交流がありましたが、現在の中東情勢につながっていくのは間違い無くオスマン帝国末期からなのです。

最盛期のオスマン帝国の領土(色が付いているとこ)

なので今回は、それ以前の関係はとりあえず置いておきますね〜。

さて、オスマン帝国の末期のイスラーム世界はある意味で悲惨なものでした。

帝国は自らヨーロッパ世界に与えてきたカピチュレーションという制度を利用されて治外法権だ、関税自主権だと不平等条約を押し付けられていました。

これはヨーロッパが産業革命によって跳ね上がった軍事力を背景に不平等条約が課されてしまったのですね。

この不平等条約のおかげでヨーロッパはオスマン帝国との貿易でかな〜り有利な立場に立つことができました。日本が幕末に結んだ不平等条約をイメージすると条約の中身がわかりやすいかな〜なんて思います。

(この不平等条約は経済的なものでした。ただオスマン帝国が弱体化する以前はヨーロッパは束になっても帝国に勝ち目なんてほとんどありませんでした、でのでオスマン帝国が押し付けられた不平等条約はヨーロッパが今まで負けてきた仕返しという面もあったのかな〜なんて想像してしまったり…。)

こんな感じにヨーロッパは強大な武力をもとに結構好き勝手にやっていくわけです。

で、ヨーロッパによってボロボロにされたオスマン帝国は国威回復のために最悪な手段を選んでしまうのです。

それは第一次世界大戦でドイツ側で参戦してしまうことです。

ドイツは最終的に帝政が崩壊し、戦争にも敗北することとなった。 それはオスマン帝国も同じだった。

結果、オスマン帝国は敗戦し帝国内ではケマルによる革命が起こり現在のトルコ共和国が成立することのなります。

そして、この第一次世界大戦中に現在のめちゃくちゃな中東情勢の種をイギリスが蒔いていくのです。

その種の名は、みんな大好き「三枚舌外交」!

これによってオスマン帝国によって支配されてきたため存在しなかった国境が引かれたり、現地情勢を無視してヨーロッパにいるユダヤ人を中東地域に送りこんでくるのです。

(ただ、注意しなければいけないのですがオスマン帝国時代にも同じイスラーム教ですがシーア派を信奉するイランとの間には国の区別がありましたし、オスマン帝国内で
は一定の義務と引き換えにユダヤ人は共存を認められていた。
なので帝国内で生活するユダヤ人は三枚舌外交が行われる以前から存在しました。)

第一次世界大戦後になるとイギリスから王国をもらえると約束された有力なアラブ人はそれが履行されずイライラしますし、普通のアラブ人にとっては今までなかった国境のせいで不便を感じてイライラします。

(結果、イギリスは有力者をなだめるために彼らをヨルダンとイラクの国王に即位させます。現ヨルダン王家はこの末裔ですね)

また、ヨーロッパから先祖の地に帰還したユダヤ人もイライラします。

かつてユダヤ人の王国があった土地をすべて自分たちのものにしたいユダヤ人は、イギリスがそれを許可しなかったことや、パレスチナに移住するユダヤ人の数を制限していたことに不満を持っていました。

(さすがにイギリスも現地人を追い出して、ユダヤ人に土地を与えたら非常にやばいことになると考えていたのでしょうね。)

人数制限の解除を求めるユダヤ人の中には、今のイスラエルに駐留していた当時のイギリス軍にテロ活動を行って自分たちの主張を認めさせようとする過激なグループがあったりしました。

また、元からいたアラブ人と後からやってきたユダヤ人は互いに争うようになるのでもう手がつけられない。

こんな感じにイギリスは第一次世界大戦から第二次世界大戦が終わるまでの間、自分たちが撒いた厄介な種をどうにかしようと右往左往していました。

Q.イギリスが弱くなったらどうなる?A.中東問題が噴出する

第二次世界大戦が終わるまではイギリスはどうにか中東地域に対して絶大な影響力を保持していました。

しかし、戦後になると戦争のダメージが相当なものでしたので中東なんかに構っていられなくなりす。

そこで、イギリスは自らが作り出した中東問題をできたてほやほやの国際連合にぶん投げるのですね。

で、厄介な問題をぶん投げられてしまった国連は、ユダヤ人が入植を始めていたパレスチナ地域をアラブ人とユダヤ人に土地が大体半分ずつなるような形で国家を作ることを提案しました。

しかし、この提案には両者ともいい顔をしないのですね。

アラブ人にとっては、ヨーロッパからやってきた訳のわからないユダヤ人に土地の半分を与えるのは癪ですし、ユダヤ人にとっては神に与えられたことになっているパレスチナの地をすべて自国の領土にできなかったことを不満に思うわけです。

結果、ユダヤ人国家たるイスラエルが1948年5月に建国を宣言すると間髪おかずにアラブ諸国がイスラエルに攻め入ってくるのです。

これがのちに第一次中東戦争と呼ばれる戦争です。

この戦争の結果、イスラエルは国連に提案された以上の領土を回収することになります。逆にアラブ人は国土を縮小せざるをえなくなるのです。

こうしてアラブ人は失った土地を求めてイスラエルと戦っていくことになるのです。

つまり、中東問題の大きな一角を占めるパレスチナ問題は土地問題から始まったと言えます。

中東での争いは宗教のせいだと言われたりしますが、実際には土地の権利といった俗世的なことが主な原因なのですね〜。

冷戦と中東

中東問題は第一次中東戦争の開戦から表面化していくのですが、四回にわたる中東戦争、イラン・イラク戦争、そしてソ連によるアフガニスタン侵攻には共通する基盤があるのです。

それは冷戦なんですね〜。

冷戦時アメリカとソ連は自分たちの影響力を増やすためにヨーロッパからの植民地支配から独立した国々に様々な支援を行っていました。

ソ連はとりわけ植民地支配から脱した国に援助を行っていた。

そして、中東各国にもアメリカとソ連はそれぞれの思惑を胸に支援を行っていました。

この支援には軍事支援も、もちろん含まれていました。

ただ、米ソはともに中東地域での戦争が拡大し直接自分たちが戦うようになるはめにならないよう、ある意味中東地域での戦争を管理していました。

つまり冷戦が終わるまでの中東地域での戦争は米ソが用意した舞台で行われていたとも言えてしまうのですね〜。

しかし、冷戦の終了とソ連の崩壊により世界はアメリカ一強になってしまうわけで…。

そのため、アメリカは9.11後のアフガニスタン侵攻やイラク戦争で好き勝手に振る舞うことができたのです。

アメリカが好き勝手やった結果、強権的な中東各国の政府は破壊されその政府によって管理されていた地域の秩序が失われることになったのですね。

このためISといった過激派が重舞台に登場しやすくなったのですね。

つまり、中東問題はなんだかんだ言って宗教問題というよりは、歴史的には政治問題に深く根ざしていると言えるのですね。

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