3分でわかる!?イラン・イラク戦争

      2017/01/10

気づいたら急に始まっていたように感じられる、イラン・イラク戦争。(もしかして自分だけですかね…)

日本人もこの戦争で人質になったりとか、後に起こる湾岸戦争、イラク戦争の発生要因を生み出したりなど、この戦争は現代の色んな問題にも以外と関係してたりするんですね。

そこで、今回はイラン・イラク戦争がなぜに起きて、これが何をもたらしたのかを探ってみたりしようかな~って思いますね~。

 1979年の衝撃

8年間も行われたイラン・イラク戦争はイラクがイランに侵攻したことから始まったんですが、じゃあなぜにイラクはそんなことをしたのでしょうかねぇ?

イラクが攻撃を決断した原因は何か?

それは1979年に起きたイラン革命

ホメイニ師

イラン革命の指導者:ホメイニ師

これによってイラクはアメリカといった国から援助を引き出すことが可能となり、革命イランを倒せると確信したことで戦争をふっかけたのですね~。

 

イラクがなぜにアメリカから援助を引き出すことができたのか?それを疑問に思っちゃったんで、これも調べてみたり。その原因は二つ挙げられるんですね。

一つはアメリカが、石油利権を守ろうとしたから。そもそも、イランはアメリカの湾岸諸国での石油などの権益を守るため重要なパートナーだったのですが、イラン革命によって親米政権が倒されてしまい、逆に反米国家になってしまったのですね~。そこでアメリカはイランの役目をイラクにさせようと考えたのでした。

 

二つ目の理由としては、湾岸諸国が王政維持のためにイラクを利用しようと考えたからです。

湾岸諸国は今でも強力な王政を敷いているのですが(例えばサウジアラビアでは、閣僚ポストは王族が占めているんですね。)、その権威づけにイスラームを使っていました。ですが、イランの親米シャー(王政)政権がイスラーム革命によって倒されてしまったことで湾岸諸国は危機感を抱いたのですね~。イランの革命政権は「革命の輸出」ということで、湾岸諸国もイランのシャー政権と同じよう倒されイスラーム国家を樹立されるべきと主張したのでした。だから湾岸諸国は王政が倒されるのではと危機感を感じたのですね~。

こういったことで、湾岸諸国は革命の防波堤にイラクを利用しようと考えたのでした。

以上の理由でイラクは豊富な援助を受け取るようになったのです。

 

また、イラクも最初はソ連と組んでいたのですが、1979年にソ連はアフガニスタンに侵攻したこともあってイラクは西側諸国との関係を一気に進めたことも、イラクが援助を受けられるようになった一因なんですね~。

戦争の経過

イラクは湾岸諸国を「イスラーム革命の輸出」から防衛するという大義名分を得たことで、イランを攻撃したのですね~。また、イラクは革命の輸出の防止だけでなく、イランとの係争地をこの機に有利な形で引き直そうと考えていから戦争を始めたわけなんですね。

戦争の初期はイラクがいけいけドンドンって感じに勝利を納めていたのですね。これはイランが開戦当初は革命が起きてから一年もたっておらず、軍隊は弱体化していたからなんですね~。

また、イラクでは国民へ高級車や新築の住宅を与えることで戦争への協力を引き出すことが容易であったため、戦争の初期はイラクが優位性を持つことができたのです。

 

ですが、イランもそう簡単に負けなかった。対外的脅威にさらされたことでイランは一致団結イラクに反撃するんですね。そしてとうとうイラクを追い出して逆にイラク領に侵攻するほどになっていったんですね。しかし、イランがそのまま戦争に勝利することはなく戦局はこう着状態になったわけで。

さてさてイラク側は短期間で勝利が可能と見込んでいたのですが、予想以上に戦争が長引きイラク国内の経済はガタガタになってしまいました。これは、イラクは当時多くの企業が国営であったのですが、それらを民営化することで政府が支出するお金を減らそうとしていたことからも、イラク政府の経済状況が厳しくなっていたことが分かりますね。

サダムフセイン

1979年から2003年までイラクの大統領であった。

イラクのフセインもこのままじゃヤバいんじゃねと思い、戦争をさっさと終結させようと考えたのでして…。そこで終戦工作を始めるんですね~。

その終戦工作はペルシャ湾を航行するタンカー船を危機にさらすことで、石油の供給を守りたいアメリカにご登場を願うといったものでした。

この工作はうまくいきアメリカが(部分的ですが)介入するようになったのですね。そのため石油利権を守りたいアメリカとイランからの脅威をイラクに対処させたい湾岸諸国は、イラクにより多くのの資金と兵器をつぎ込むことになったのです。

イラン・イラク戦争は最終的に、ペルシャ湾にいたアメリカの巡洋艦がイランのエアバスを撃墜したことでアメリカのペルシャ湾での強力なプレゼンスをイランに叩き付けたことで、イランは停戦を承諾したのでした。

戦争の帰結

何とかイラン・イラク戦争を手打ちにすることができたイラクは、今後は欧米と上手く付き合って戦争で疲弊した経済の再建を考えたのでした。ですが欧米は、この戦争で様々な支援を受けたことにより中東地域で軍事大国化したイラクを逆に警戒していました。なので、欧米と協調して経済再建を目指すプランは不可能になっていたのです。

 

さらに、経済が死にかけているイラクに追い打ちをかけるように湾岸諸国から戦争中に与えた資金を返還せよと求められるのですね。イラクとしてはイランの脅威から守ってやっているのだから戦時中に湾岸諸国から与えられた資金援助は返還不要なものだと思っていたのです。

金がない

イラン・イラク戦争後イラクはとにかく金がなかった。

ですが、湾岸諸国はそうではなかった!

イラクは返せと言われたから、しゃーねから返すかとなったのですが国内の経済はボロボロ。返済に四苦八苦するのですね。

こういった経済の不安定さがイラクを湾岸戦争に向かわせたのですね~。

 

 

 - 中東